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京阪100年号事故(けいはん100ねんごうじこ)は、1976年(昭和51年)に発生した日本国有鉄道(国鉄)の動態保存蒸気機関車牽引によるイベント列車で起きた鉄道人身障害事故である。軌道敷内へ不法に侵入した小学生1人が列車にはねられて死亡したもので、鉄道事業者側に責任のある「有責事故」ではなかったが、その後の日本における蒸気機関車の動態保存のあり方に大きな影響を与えた。 == 事故の概要 == 1976年9月4日に、東海道本線の京都駅 - 大阪駅間開業100周年を記念して、梅小路蒸気機関車館に動態保存されていたC57形蒸気機関車1号機(客車は12系使用)による記念臨時列車「京阪100年号」が京都駅 - 大阪駅間で運転された。京都駅を出発して大阪駅で折り返す運用で、下りが午前中(11時10分京都発)、上りは午後(16時10分大阪発)に運行されるダイヤとなっていた〔平野雄司「栄光と悲運の旅路」『鉄道ジャーナル』1976年12月号、pp.60 - 62。筆者は当時交通新聞関西支局記者。〕。この列車の運行については数日前から在阪のマスコミで広く伝えられ、列車の通過予定時刻などを詳細に報じたメディアもあったとされる〔『鉄道ジャーナル』1976年12月号p110(鉄道友の会理事・宮澤孝一の寄稿文章)〕。C57形1号機が起用された背景には、牽引力の点や人気に加え、10月にボイラーの検査期限が切れるため、その花道を飾らせたいという考えもあったという〔。 当日は午前中から多くの鉄道ファンや観衆が駅や沿線に繰り出し、マスコミもヘリコプターで列車を追ったりしていた。沿線では多くのファンが見物や撮影のために待機しており、鉄道用地内に侵入してまで撮影を行っていた人も多数いた。往路は大きなトラブルもなく〔桂川橋梁で幼児の線路侵入による急停車はあった。〕大阪駅に到着し、復路の上り列車の運行へと進んだ。この日は土曜日で、学校の授業の終わった児童生徒も午後には駅や沿線に姿を見せ〔この当時、公立学校では土曜日は午前中のみ授業が行われていた〕、観衆の数は一段と膨らんだ。このため、定刻よりも遅れて走行中だった千里丘駅 - 茨木駅間で、同所でも多数の人々が鉄道用地に立ち入っており、複数の大手新聞関西版記事によると、周りの人々の注意を無視して線路内で写真撮影をしていた小学5年生の男児が列車に接触。男児は病院に搬送されたが死亡した。列車は高槻駅までC57形牽引で走行したが、蒸気機関車による牽引を断念し、高槻駅ではEF65形電気機関車に付け替え、京都駅まで運行された。高槻駅で切り離されたC57形はこの日の夜に梅小路へと回送された。 なお、当列車の機関士及び機関助士は書類送検されたが、不起訴処分(事故責任なし)となっている(京都新聞記事より)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京阪100年号事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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