|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 男 : [おとこ] 【名詞】 1. man
伊藤 久男(いとう ひさお、1910年(明治43年)7月7日 - 1983年(昭和58年)4月25日)は日本の歌手。本名:伊藤 四三男。福島県本宮市出身。本名の四三男は生年の明治43年に由来。元妻は戦前にコロムビアレコード等で活躍した元芸者歌手赤坂百太郎(大西ふさ子)。 == 歌手として == 生家は福島県安達郡本宮町(現本宮市)の旧家。父親は立憲政友会所属で県会議員を務めた伊藤彌〔父親が立候補する際の選挙スタッフに、後にロッキード事件に関わった児玉誉士夫がついていたことがある。〕、兄は自民党所属で衆議院議員を務めた伊藤幟である。たいへん裕福な家庭で、当時はまだ珍しかったピアノに没頭し、中学の頃にはピアニストを志望するようになる。家族親族の反対を押し切り単身上京、音楽を生業とすることに反対していた家族へのカモフラージュのため東京農業大学に入学。その後、同郷の新進作曲家古関裕而と懇意になり〔この頃すでに古関裕而の妻が帝国音楽学校で声楽を学んでいた。〕、家族には知らせず農大を退学、帝国音楽学校に進む。同校では同郷の声楽家平間文寿に師事する。 農大を退学したことが家族に知られ毎月の仕送りが止まり、音楽学校の同級生とともにコロムビア吹き込み所で合いの手や囃子の吹き込みのアルバイトを始める。ピアニスト志望だった四三男としては不本意だったが、これが後に作曲家やディレクターたちの耳に止まることになる。 1932年(昭和7年)、古関裕而の勧めにより、1933年(昭和8年)6月25日付で「伊藤久男」名義でリーガル(コロムビアの廉価盤)から「今宵の雨」でデビュー。コロムビアからのデビューは同年9月の「ニセコスキー小唄」で、宮本一夫の名前で発売。出身地本宮をひっくり返した芸名だった。〔デビュー直後に、宮本一夫を名乗る偽者がファンの女性を騙すという騒ぎが多数起きている。〕その間、アルバイトでタイヘイで内海四郎名義でもレコーディング。その後、コロムビアでは伊藤久男、リーガルで宮本一夫を使用していたが、1935年(昭和10年)「別れ来て」の発売を機に芸名を伊藤久男と改める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤久男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|