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伊達 義基(だて よしもと)は、江戸時代後期の仙台藩一門第四席・涌谷伊達氏第11代当主。 == 生涯 == 文化5年(1808年)、涌谷伊達氏第10代当主・伊達村清の子として生まれる。幼名は虎松、源次郎。 文政2年(1819年)5月25日に仙台藩主の伊達斉宗が亡くなると、田村顕嘉(のちの伊達斉義)や登米伊達氏・伊達宗充の子である幸五郎(のちの伊達斉邦、当時2歳)とともに当時12歳の源次郎もその後継者候補となっていたが、斉宗との血統の近さと年齢から顕嘉(斉義)が藩主となった。のちに源次郎は斉義から偏諱を賜って、義基と名乗っている。 文政3年(1820年)、父村清の死去により家督を相続し、涌谷邑主となる。文政11年(1828年)1月28日、新藩主・伊達斉邦(1月23日に斉義が没する前にその養子となっていた)の家督相続御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家斉に拝謁を賜る。天保3年(1832年)から翌天保4年(1833年)、名鰭沼の排水のため、藩営で青木沢の掘削工事を行い、未開墾だった南郷谷地の新田開発を実現した。天保9年(1838年)、家臣や領民の教育のために、郷学学習館(後に月将館と改称)を設立する。 天保10年(1839年)6月5日、死去。享年32。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達義基」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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