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伊集院五郎 : ミニ英和和英辞書
伊集院五郎[いじゅういん ごろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 
: [ご]
  1. (num) five 

伊集院五郎 : ウィキペディア日本語版
伊集院五郎[いじゅういん ごろう]

伊集院 五郎(いじゅういん ごろう、嘉永5年9月28日1852年11月9日) - 大正10年(1921年1月13日)は、日本海軍軍人元帥海軍大将正二位勲一等功一級男爵
== 経歴 ==
薩摩藩士の子として生まれ、明治10年(1877年)の西南戦争に参戦する。イギリスの海軍兵学校・海軍大学校で兵学を学んでいたため、日本海軍の中でも博識であった。海兵5期
下瀬雅允海軍技師が開発した下瀬火薬の威力を発揮させるため、伊集院信管を開発した。この信管は明治38年(1905年)の日本海海戦日露戦争中)で、下瀬火薬とともにその威力を発揮し、連合艦隊がロシアバルチック艦隊を撃破する大きな要因となった。そのため伊集院は、「日本海海戦勝利の影の功労者」と言われている。
日露戦争後は第二艦隊司令長官、第一艦隊司令長官、軍令部長を歴任した。第一艦隊司令長官時代に行った猛訓練は「月月火水木金金」といわれ、後に同名の軍歌が作られるに至った。
大正6年(1917年元帥府に列せられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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