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北条 盛房(ほうじょう もりふさ)は鎌倉時代後期の武将、北条氏一門。佐介流北条政氏の子。佐介盛房とも。 == 生涯 == 盛房の家系である佐介流北条氏は、北条時房の直系でありながら、傍流の大仏流の隆盛と、佐介流北条時国、北条時光らの凋落により大仏流の後塵を拝していたが、盛房の活躍によって地位を恢復した。 それでも佐介流の没落は盛房の出世の重石となったようで、要職に就き、幕府の中枢で活躍するのは40代を過ぎてからであった。弘安5年(1282年)に右近将監に叙任。弘安9年(1286年)、41歳で引付衆に選定され、翌年には評定衆にも名を連ねる。弘安11年(1288年)2月に六波羅探題南方に就任した。尚六波羅探題南方就任と間を置かずして左近将監に、同年8月には丹波守に叙任されている。 六波羅探題南方の職は永仁5年(1297年)まで務め、同年5月16日に辞任した後は関東に下向し、7月8日に数え年56で没した。和歌にも堪能であり、新後撰和歌集に歌が収録されている。奈良の額安寺に墓塔が建立されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条盛房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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