翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐竹義盛
・ 佐竹義直
・ 佐竹義真
・ 佐竹義睦
・ 佐竹義知
・ 佐竹義知 (山入佐竹氏)
・ 佐竹義祇
・ 佐竹義祚
・ 佐竹義秀
・ 佐竹義秀 (東家)
佐竹義種
・ 佐竹義種 (西家)
・ 佐竹義章
・ 佐竹義篤
・ 佐竹義篤 (九代当主)
・ 佐竹義篤 (十六代当主)
・ 佐竹義篤 (十六代目当主)
・ 佐竹義篤 (戦国武将)
・ 佐竹義純
・ 佐竹義継


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐竹義種 : ミニ英和和英辞書
佐竹義種[さたけ よしたね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [たね, しゅ]
 【名詞】 1. (1) seed 2. pip 3. kind 4. variety 5. quality 6. tone 7. (2) material 8. matter 9. subject 10. theme 1 1. (news) copy 12. (3) cause 13. source 14. trick 15. secret 16. inside story 1

佐竹義種 : ウィキペディア日本語版
佐竹義種[さたけ よしたね]

佐竹 義種(さたけ よしたね、永禄10年(1567年) - 元和5年6月1日1619年7月11日) )は、戦国時代から江戸時代初期の武将佐竹南家第3代当主。幼名は新発意(しぼい)、鶴寿丸。仮名は三郎。淡路守。第2代佐竹義尚の嫡男。子に義章早川宣直(のぶなお、早川氏祖、佐竹義宣より1字を賜う)。
父の義尚は22歳で義種が5歳の時に早世したので、従弟の佐竹義宣とともに太田城で養育された。天正7年(1580年)に義宣と一緒に元服する。天正12年(1585年)、伯父佐竹義重の指揮下で北条氏直と戦い戦功を挙げる。その後、義宣とともに小田原征伐に従軍、朝鮮出兵の際は名護屋城に在陣した。
佐竹家は徳川家康より、関ヶ原の戦いにおける日和見の態度を咎められ、慶長7年(1602年)に出羽久保田藩に転封となった。その際、義種は先に部下を率いて秋田に入り準備をした。その迅速さに義宣は喜び、どの封地がよいか訪ねた。これに対して義種は最上氏伊達氏領と隣接した地こそ兵乱の時に逸早く駆けつけることができるということで、湯沢城代となった。なお、義種は城には住まず、麓に住居兼役所を設けた。大坂の陣両陣に従軍し、元和5年、53歳で没し、家督は嫡男の義章が継いだ。
== 参考文献 ==

*今泉徹「戦国期佐竹南家の存在形態」(所収:佐藤博信 編『中世東国の政治構造 中世東国論:上』(岩田書院、2007年) ISBN 978-4-87294-472-3)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐竹義種」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.