|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 々 : [くりかえし] (n) repetition of kanji (sometimes voiced) ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
佐藤 奈々子(さとう ななこ、1955年 - )は、東京都中野区出身の歌手・フォトグラファーである。慶應義塾大学卒。 == 略歴 == 叔母が体操の元オリンピック選手で3歳頃より体操を仕込まれる。高校生の時にはインターハイに出場するまでになっていたが、練習中に頭から落ち一時記憶が無くなるほどの怪我になり、断念。〔2003年momenインタビューより〕 大学在学中に佐野元春と出会い、歌や詩を書くことを教わる。 大学主催の女性シンガーソングライターコンテストに出場し、「綱渡り」で最優秀作詞賞受賞。 このコンテストを機に1977年6月、佐野との共作によるアルバム『Funny Walkin’(ファニー・ウォーキン)』で日本コロムビアよりデビュー。 1979年までに4枚のソロアルバムをリリースし、ムーンライダーズや加藤和彦など、当時の先鋭的なアーティストの作品に参加、楽曲提供するなど活動の幅を広げる。 1980年 岩倉健二・戸田吉則・永田裕らとニュー・ウェイヴ・バンド「SPY(スパイ)」を結成。加藤和彦プロデュースによるアルバム『SPY』をリリース。 その後、多重露光の幻想的な写真を撮るようになり、プロのフォトグラファーとして広告、雑誌などで活動を始める。 1986年 日産海外向けカレンダーの撮影で、世界のカレンダーコンテストで金賞受賞。 1987年より5年間パリに移住。 1993年 帰国後15年ぶりに音楽活動を再開し、アルバム『Fear and loving』をリリース。 以後はnanaco名義で活動することが多くなる。 1996年 アルバム『LOVE IS A DRUG』をイギリス、アメリカ、日本でリリース。タイトル曲のシングルは、日本人アーティストで初めてNMEのシングル・オブ・ウィークに選ばれる。 1998年 イギリスのコクトー・ツインズのレーベルBella UNionより、アルバム『Luminous love in 23』をリリース。 2001年 Mark Bingham(REMでグラミー賞を受賞) のプロデュースにより、アルバム 『Sisiters on the riverbed 』 をリリース。 日本のみならず世界的に幅広く音楽を発信している。 独特のコケティッシュなウィスパー・ヴォイスは、渋谷系の元祖とも言われた。 さまざまなアーティストへの楽曲提供もおこなっており、ピチカート・ファイヴの「Twiggy Twiggy」(作詞・作曲。もとは野宮真貴の1981年のデビューアルバム『ピンクの心』への提供曲)は世界的ヒットとなった。 同曲は2014年、セルフカヴァーで配信リリースされ、息子であるjanがベースを担当、野宮真貴もコーラスで参加した。 なお、オランダ人の元夫との間に生まれた息子jan(ヤン)は、2012年に活動を再開したGREAT3のベーシストとして正式加入している。janはギターやヴォーカルのキャリアもあり、奈々子のバックもしばしば務める。 フォトグラファーとしてはCoccoや細野晴臣といったミュージシャンのCDジャケットなども手掛けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤奈々子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|