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信夫国造(しのぶのくにのみやつこ)は阿武隈川を擁する福島盆地、令制国での陸奥国信夫郡(しのぶのこおり)(現福島県福島市(旧信夫郡を包含)、伊達市及び伊達郡)にあった信夫国を支配した国造。 == 概略 == 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の久志伊麻命(くしいまのみこと)の孫である久麻直(くまのあたい)を国造に定めたことに始まるとされる。 阿岐国造の祖は天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)といい、祖を同じとする東山道系の国造に、染羽国造、伊久国造、思国造がいる。また、天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)も同一とする説によれば、白河国造も同祖となる〔井上通泰『上代歴史地理新考 東山道 』三省堂、1943年〕。 律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城までは、ヤマト王権の及ぶ最北端の地として蝦夷と対峙していた。 地形的にも、かつての信夫郡内であった伊達郷(後の伊達郡国見町)は阿武隈川が谷を刻んで流れ出す阿武隈山地が東北から、蔵王連峰から吾妻連峰に連なる奥羽山脈が西北から迫り、この地が福島盆地の北端となっている。後の奥州街道はこれより北は刈田郡(現白石市)に抜けるまで、松尾芭蕉が『奥の細道』に「長坂」と記した険しい山道となる。〔福島県 - ふくしまの歴史と文化の回廊「歴史と文化をたどる道(国見町) 」〕。また、同地には、文治5年(1189年)の奥州合戦で源頼朝が差し向けた鎌倉軍を迎え撃つために藤原泰衡が長大な阿津賀志山防塁を築いている〔〔国見町「町の歴史 」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信夫国造」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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