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円明園 : ミニ英和和英辞書
円明園[えんめいえん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まる, えん]
 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 

円明園 : ウィキペディア日本語版
円明園[えんめいえん]

円明園(えんめいえん)は、中華人民共和国北京市海淀区に位置する、清代に築かれた離宮の遺構である。面積は3.5km2に及ぶ。
== 歴史 ==

Image:yuanmingyuan2.jpg|円明園全景
ファイル:圆明园盛世图 20130201.JPG|略奪直前の円明園全景図
File:Yuanmingyuan haiyan.jpg|海晏堂を描いた銅版画

1709年康熙48年)、清朝4代皇帝康熙帝が、皇子の胤禛(いんしん)に下賜した庭園がその起源となる。胤禛が皇帝(雍正帝)に即位、1725年(雍正3年)以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。
乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(のちに万春園と改称)が設けられた(この円明園、長春園、綺春園を総称して、広義の円明園となる)。長春園の北側には、イエズス会士ブノワ:en:Michel Benoist)、カスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物・西洋楼が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そして、文源閣には四庫全書の正本が収められた。
ヨーロッパでは"Old Summer Palace"などの名で紹介された。
しかし、1856年咸豊6年)に勃発したアロー戦争(第二次アヘン戦争)に際して、北京までフランスイギリス連合軍が侵入、フランス軍が金目のものを全て略奪したのち、遠征軍司令官エルギン伯の命を受けたイギリス軍が「捕虜が虐待されたことに対する復讐」として徹底的に破壊し、円明園は廃墟となった。これに対して円明園を評価していたヴィクトル・ユーゴー〔Hugo, Victor. "The sack of the summer palace," ''UNESCO Courier.'' November 1985.〕〔Angela Tsai, Angela ''et al.'' "Splendors of a Bygone Age," Tsu Chi Foundation.(2003年1月27日時点のアーカイブ)〕ら一部の文化人はこの破壊行為を批判した。
ただし、長春園北側の西洋楼庭園の海晏堂前の噴水時計に設置されていた十二支像がこの時破壊・略奪されたという見解があるが、実際にはこのときは被害を免れ移設されたものである。1930年ごろに北京近郊でこの12の像の写真が撮影されており、その後首を切断され流出したものと考えられる(詳細は円明園十二生肖獣首銅像を参照)〔中野美代子「愛国心オークション」、『図書』(岩波書店)2009年7月号、32-35頁。〕。この際、円明園から略奪された宝物は大英博物館など主にヨーロッパ各地の博物館に所蔵・展示されている。その後も、義和団の乱などの戦乱や文化大革命などにより円明園はさらに荒廃したまま放置された。
1984年に遺跡公園建設が始まり、一部の地域が修復、整備された。1988年に国の重点保護文化財に指定され、観光資源として数多くの観光客を集めている。円明園自体への入場料は10、西洋楼遺址区への入場料は15元。2000年代に入ると成人式の会場などのイベントにも利用され始めた

現在では、廃墟のまま保存すべきか、一部でも復元すべきか中国国内で議論されている〔円明園は復元すべきかどうか 北京週報(2005年2月4日時点のアーカイブ)〕 が、2007年に中国当局は2008年から200億元をかけて復元工事を行うことを発表した〔中国・清朝の円明園、3000億円投じて復元へ AFPBB News 2007年12月8日〕。発表の翌月には、円明園の遺跡保護プロジェクトが発足した。そのプロジェクトは、正覚寺の再建と保護、長春園宮門区の保護など、8つの重点項目がある。とりわけと最大の課題になっているのは、景観装飾用水を再生水にする計画である。数百万立米におよぶ再生水を再利用する。水質を高めて、植物や生物による最新の水質浄化技術で、循環と浄化を行う〔北京の円明園、景観用水に再生水利用へ 来年から 北京週報 2007年12月21日〕。
中国政府は、近年になって流出した宝物などの回収に本腰を入れており、これまでに海晏堂の十二支像のうち丑、申、寅、亥、午は中国企業が約10億3400万円で購入して中国政府に返還した。2009年2月にイヴ・サン=ローランが所有していた卯と子の像が競売にかけられる事が判明し、中国側は購入のため交渉に乗り出した〔アヘン戦争で略奪の十二支像、中国が奪還に期待 - 朝鮮日報 2008年10月29日(2008年11月11日時点のアーカイブ)〕。結局、2月25日に銅像はそれぞれ1570万ユーロ(当時の日本円で約39億円)で民間組織「海外流出文化財救出基金」の顧問を名乗る蔡銘超により落札されたが、「金を払うつもりはない。中国人としての責任を果たしただけだ」と語り〔支払い拒否の中国人の言い分「中国人としての責任を果たしただけ」 - MSN産経ニュース 2009年3月2日(2009年3月4日時点のアーカイブ)〕、結局代金を支払うことはなかった。だがこれに対しては国外はもとより、中国国内でも批判の声が上がり、中国国家文物局も「個人的行為」だと表明して国の関与を否定するにいたった〔<動物像競売>世界に恥さらす「愛国」、当局も「国ぐるみ」否定―中国人ブロガー レコードチャイナ 2009年2月24日〕。
一方、蔡の発言に対しては所有者だったサン=ローランのパートナー、ピエール・ベルジェが「中国が人権を守り、ダライ・ラマ14世チベットに帰還出来るなら中国政府に銅像を引き渡してもいい」〔<中仏>「ダライ・ラマを戻せ」、動物像の返還要求に「政治的恐喝」—中国紙 レコードチャイナ 2009年2月24日〕 と発言したことから中国は反発、結局像はベルジェの手元に残された。同年8月には、円明園で十二支像を含む噴水時計が復元された〔十二支動物像復元、150年ぶりに時を告げ始める-北京 サーチナ 2009年8月11日〕。
また、中国の円明園管理所がアメリカ合衆国全土の博物館を巡回して円明園の宝物を追跡していることについて、アメリカ側から「奪回をもくろんでいるのではないか」「中国国民へのポーズに過ぎない」と批判の声が上がっている〔なぜ中国は流出文化財の「追跡調査」するの?国民へのポーズに過ぎないのでは―米紙 レコードチャイナ2009年12月20日〕。2012年11月には、イギリスのオークション会社ボナムズが、予定していた円明園の宝物2点のオークションを中止した〔英オークション会社、円明園の文化財2点の出展を中止=中国との摩擦恐れてー中国メディア レコードチャイナ 2012年11月4日〕。
一方、上記の卯と子の像は、PPRの創業者が交渉の末にベルジェから所有権を手に入れ、2013年6月28日中国国家博物館へ寄贈〔話題の十二支像が寄贈される 中国画報2013年9月5日2016年2月1日閲覧〕、現在展示されている。
ちなみに、珠海市にテーマパークとして円明園を再現した「円明新園」が1999年に完成しており、清を題材とした映画などの収録に使われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「円明園」の詳細全文を読む




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