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出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15日 - 2002年(平成14年)6月19日)は、日本の作家、宗教家。大本教祖・出口王仁三郎の孫。 代表作『大地の母』全12巻(出口なお・王仁三郎の伝記であり、大本初期の歴史を描いた小説)。 本名以外に「野上竜」「十和田龍」というペンネームで書いた著作もある。 昭和50年代から大本の宗教改革運動に取り組み、仲間たちと共に「いづとみづの会」を設立。60年代には宗教法人「愛善苑」として独立した。 == 生涯 == === 出生~青年期 === 綾部の大本の聖地の中で生まれる。母親は出口王仁三郎の第三女・八重野で、亀岡に住んでいたが、出産の時だけ綾部に滞在していた。生まれた場所は大本の御神体山の頂上(一番の聖域)に建つ穹天閣(きゅうてんかく)という建物で、綾部における王仁三郎の居館だった〔出口和明「落胤問題を検証する(三)」『神の国』2001年7月号P9-10〕。 父親は愛媛県出身の佐賀伊佐男で、八重野と結婚して出口家に婿入りし、宇知麿(うちまる)という名を王仁三郎から与えられる。教団の最高幹部として王仁三郎や澄子、直日(王仁三郎の娘で三代教主)らを助けた。 1935年(昭和10年)12月8日、和明が5歳の時、第二次大本事件が起き、祖父母(王仁三郎夫妻)や父(宇知麿)らが投獄される。幼少時は母・八重野よりも、もっぱら養育係の土井清江(大本幹部の土井靖都の妻)によって育てられる。 1944年(昭和19年)京都の同志社中学に入学。大本事件によって「非国民」の烙印が押された出口家や大本信者の子弟は不当な入学差別を受けていたが、特高警察の銅銀松雄の口利きで差別されずに入学できた〔銅銀松雄『最後の特高警察』〕。 1948年(昭和23年)1月19日に王仁三郎が昇天すると、和明は失意して自分を見失い、2月13日、学校を早退するとそのまま家出をして鳥取の信者が経営する旅館に身を寄せる。新聞記者になりたいと言って同志社中学を四年で退学(当時は五年制)。新興宗教の「璽光尊」に興味を持って取材しようと思い立つ(当時、教祖の長岡良子が昭和天皇に譲位を迫り自分が天皇だと宣言したためマスコミが騒いでいた。長岡は「菊花会」という大本系の心霊研究グループに関わっていた時期もある)。璽光尊の本部があった金沢へ行くと、北国新聞社(社長の嵯峨保二は熱心な大本信者)にコネで入社する(父・宇知麿が嵯峨に頼み込んだ)。〔「落胤問題を検証する(十二)」『神の国』2002年4月号P43-46〕 一年ほど記者をつとめた後、1952年(昭和27年)早稲田大学露文科に入学する。しかし劇団をつくって演劇に熱中したため、5年間在学したが卒業できずに中退する。在学中に演劇仲間の福田禮子と出会う。禮子は浅利慶太らと共に劇団四季を結成したが、途中で脱退して和明の劇団に移り、学生結婚をする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「出口和明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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