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刀狩(かたながり、刀狩り)とは、日本の歴史において、武士以外の僧侶や農民などから、武器の所有を放棄させること。鎌倉時代の1228年安貞2年に、第2代執権北条泰時が高野山の僧侶に対して行ったものが、日本史記録上の初見で〔「刀狩り」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』〕、後に1242仁治3年には、鎌倉市中内の僧侶とその従者(稚児、中間、寺侍、力者など)に帯刀を禁止する腰刀停止令を出し、違反者の刀剣は没収し大仏に寄付するとした〔『日本史大事典』「刀狩令」藤木久志 平凡社〕。また1250年建長2年に第5代執権北条時頼は範囲を拡大し、市中の庶民の帯刀と総員の夜間弓矢の所持を禁止した〔『刀と首取り 戦国合戦異説』鈴木眞哉 P.65 平凡社新書 2000年 「吾妻鏡」記載〕。 戦国時代には諸大名によって行われている〔。天下を統一した豊臣秀吉が安土桃山時代の1588年8月29日(天正16年7月8日)に布告した刀狩令(同時に海上賊船禁止令)が特に知られており、全国単位で兵農分離を進めた政策となった。一般的には農民の帯刀を禁止し、それらを没収して農村の武装解除を図った政策として知られているが、実際には刀以外の武器所有は禁じられていない。 柴田勝家も、1575年天正3年から翌年にかけて越前国の一向一揆の鎮圧のために武器の奨励と没収を行ったことがあり後述する。 == 刀の神聖視と習俗と刀狩 == 刀は、神聖視されて神社の神体となったり信仰の対象ともなった。一般的な通念と違い、騎馬上で刀や鑓を振るうことは無く、騎馬白兵戦は無かった。あくまで騎馬弓兵が中心で刀は本来主役ではなかった。だが早くから武士にとって刀は武の象徴とされ、信長、秀吉、家康も戦力や現実の使用を超えて、名刀を集めていた。後述の500万本もの刀が太平洋戦争後に存在したことは、刀が精神性を帯びたもので単なる武器で無かったことを表す。〔『刀と首取り 戦国合戦異説』鈴木眞哉 P.20-51 平凡社新書 2000年〕 そして16世紀には、近畿や関東で庶民にも15歳の成人祝いを「刀指」と呼んで脇差を帯びる事が習俗となっていた。戦国時代の村では「おとな百姓」の家は村の3分の1に上る場合もあるが、名字もあり帯刀する別の階級で農業は他の「小百姓」に任せて、たえず戦争に参加し落ち武者狩りも行っていた。関東でも後北条氏の動員令でも、弓、鑓、鉄砲は自弁で、村の武装は参戦可能で当然としている。また中世や近世で、農民の腰の指物は不可侵で、中世以後16世紀や17世紀の村の争いでも相手の脇差を奪うことは重大で犯罪とされた。中世以来、刀は農民にとって武装権とともに成人男性の人格と名誉の象徴で、刀狩はそれを奪うということで、大きな問題だった。〔『刀狩り 武器を封印した民衆』藤木久志 P.25-38 2005年 岩波新書〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「刀狩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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