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切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 2015年6月15日〔)は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴・人物 == 姫路南高では、左翼手、四番打者として、1963年全国高等学校野球選手権兵庫大会決勝に進出するが、市西宮高に5-6で惜敗し甲子園出場を逸する〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。卒業後は芝浦工業大学に進学。東都大学リーグでは優勝に届かず、二部降格も経験する〔「東都大學野球連盟七十年史」 東都大学野球連盟編纂委員会 2001年〕。一部リーグ通算42試合出場、84打数12安打、打率.143、0本塁打、4打点。卒業後は東芝に所属。阪急ブレーブスに1968年のドラフト9位で指名されるが、これを保留したまま1969年の都市対抗に出場。三菱重工川崎の補強選手として活躍し、チームを準々決勝に導いた〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。 その後阪急に入団し、1970年のジュニアオールスターにも出場する。しかし一軍では出場機会に恵まれず、1975年オフに阪神タイガースに金銭トレードされる。1976年にはウエスタン・リーグで本塁打王を獲得する。1977年には74試合に出場、代打を中心に起用されたが、19試合に外野手として先発出場している。1978年オフに引退。その後は阪神で2軍トレーニングコーチ・スコアラー・スカウトを務めた〔。1983年7月10日の広島戦で岡田彰布が右足太もも筋肉を断裂し残りのシーズンを棒に振った、当時2軍トレーニングコーチだった切通とマンツーマンで取り組んだリハビリトレのおかげで見事に復活。スカウトとしては関本賢太郎、濱中治、藤川球児を発掘した〔。阪神退団後は宝塚市内でスナックを経営〔。温和な性格で誰からも慕われた〔。 2015年6月15日、宝塚市内の病院で死去。71歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「切通猛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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