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別宮 貞雄(べっく さだお、1922年5月24日 - 2012年1月12日)は、日本の作曲家。 == 略歴 == 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は実弟。遠祖は伊予守護職河野氏出身の正岡経政の重臣で経政の叔父に当たる別宮修理太夫光貞。別宮氏は江戸時代に入ると伊予国今治藩の豪商国田屋として栄えた。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年に卒業。さらに同大学文学部美学科に入学し1950年卒業。のちフランスに渡り、パリ音楽院でダリユス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンらに師事したが、ミヨーのクラスを受験した際、シュトックハウゼンがライバルであったが、別宮が合格したため落とされている。帰国後1955年から桐朋学園大学で教鞭を執る。1961年から桐朋学園大学教授、1973年から中央大学教授を務めた。中央大学の音楽研究会吹奏楽部から作品を委嘱されてもいる。 別宮は、幼少時に父が所有するベートーヴェンやモーツァルトのレコードを聴いて育ったこともあってか作曲家としての理想像をベートーヴェンであるとしており、調性もしくは旋法性に依拠し、直截で単純明快かつ抒情的な表現を得意とした。一方で、十二音技法などの前衛的な手法に対しては、概して批判的な態度をとった。ミヨーやメシアンに師事しているが、様式的に見て新ロマン主義音楽の作曲家に分類される。調性を固守する態度は同じフランスの先輩ジャン・フランセと同様といえる。1988年紫綬褒章、1994年勲三等瑞宝章。 2000年を第1回として、その選考対象年に日本で発表された作曲作品の中から別宮自身がもっとも優れた作品と評価する作品に対して別宮賞の贈呈を始めた。 2012年1月12日、肺炎のため死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「別宮貞雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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