|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 別 : [べつ] 1. (adj-na,n,n-suf) distinction 2. difference 3. different 4. another 5. particular 6. separate 7. extra 8. exception ・ 八 : [やつ] (num) eight ・ 八景 : [はっけい] (n) eight picturesque sights
別府八景(べっぷはっけい)とは1930年(昭和5年)に制定された大分県別府市とその近郊〔当時の別府市は、浜脇町と別府町が合併したもので、浜脇公園と乙原以外は当時の別府市域外である。〕を対象とした別府温泉の八大景勝地である。同時期に別府三勝や奥別府十勝も制定された。別府八景はしばしば地獄めぐりと対比され、地獄めぐりに対する極楽めぐりといった売り出し方がなされた。その結果、観光客の記憶に残る名所となり、また盛んに絵葉書や小唄などで宣伝されたために広く知られるところとなった。ただし、現在ではあまり観光地とは呼べないところがあるため、別府八景の中の高崎山や由布院等が観光の対象となることはあっても、別府八景めぐりが観光の対象となることはまずない。つまり、既に別府八景という概念が薄れているということである。 == 歴史 == 大正時代、別府の名勝開発の一環として「海と山と街が一目の素晴らしい眺め」「豊かな自然」「人の手が加えられた見事な名所」をキーワードに数箇所の景勝地が制定された。別府三勝や奥別府十勝に選定された場所は主に「素晴らしい眺め」と「豊かな自然」の二つの項目により選定されているのに対し、この別府八景は「人の手による名所、人の手が加えられた名所」も対象となっているのが特徴である。たとえば浜脇公園や鶴見ヶ丘などがこれにあたる。別府八景、別府三勝、奥別府十勝のいずれも観光客の爆発的増加につながり大成功であったが、中でも別府八景は広く親しまれた。 盛んに絵葉書が作られ、別府地獄めぐりにつぐ別府観光の目玉であった別府八景も、戦後はだんだんと忘れられてしまった。その原因としては、浜脇公園の景観が八景に選ばれた頃の様子とは著しく変化し、市民公園あるいは児童公園といった雰囲気になったことや、鶴見園の衰退などがあげられる。由布院にしても、もはや戦後は「別府の奥座敷」ではなく独立した観光地として本格的に売り出しにかかっていたので、今更別府八景というわけではなかった。このような事情で、昭和40年代に入ると別府八景の名を聞くことは滅多になくなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「別府八景」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|