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則元 卯太郎(のりもと うたろう、1891年(明治24年)11月20日〔『帝国大学出身名鑑』ノ18〕 - 1944年(昭和19年)7月16日〔『官報』第5254号、昭和19年7月20日〕)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 == 経歴 == 長崎県長崎市出身。父は衆議院議員則元由庸。長崎県立長崎中学校、第五高等学校を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した〔。同年に長崎市で弁護士を開業した。1930年(昭和5年)、長崎日日新聞社副社長に就任した〔。 1921年(大正10年)より長崎市会議員に6度当選し、副議長にも選出された。また1923年(大正12年)より長崎県会議員に3度当選し、副議長に選出された。 1938年(昭和13年)、衆議院に補欠当選を果たし、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他に朝鮮新聞社取締役〔『人事興信録』〕、長崎弁護士会会長〔『衆議院要覧』〕などを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「則元卯太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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