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前島來輔 : ミニ英和和英辞書
前島來輔[ほ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 

前島來輔 ( リダイレクト:前島密 ) : ウィキペディア日本語版
前島密[まえじま ひそか]

前島 密(まえじま ひそか、天保6年1月7日1835年2月4日) - 大正8年(1919年4月27日)は、日本官僚政治家。号は「鴻爪(こうそう)」。日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。
前島は晩年を別荘「如々山荘」で過ごした。この別荘は三浦半島西海岸にある浄土宗寺院、浄楽寺の境内にあった。前島夫妻の墓所も浄楽寺境内にある。郵政民営化を断行した小泉純一郎の選挙区(神奈川県第11区)内である。
== 年譜 ==

* 天保6年(1835年) - 越後国頸城郡下池部村(現在の新潟県上越市大字下池部)に豪農上野助右衛門の二男として生まれる。幼名房五郎。父が間もなく亡くなり、母方の叔父糸魚川藩医相沢文仲に養われた。
* 弘化4年(1847年) - 江戸に出て医学を修め、蘭学英語を学ぶ。
* 安政5年(1858年) - 航海術を学ぶため箱館へ赴く。名を巻退蔵と改める。
* 安政6年(1859年) - 武田斐三郎の諸術調所に入る。
* 慶応元年(1865年) - 薩摩藩洋学校開成所)の蘭学講師となる。
* 慶応2年(1866年) - 幕臣前島家の養子となり、家督を継いで前島来輔と名乗る。漢字御廃止之議将軍徳川慶喜に提出。幕臣清水与一郎の娘奈何(仲子)と結婚。
* 慶応3年(1867年) -開成所数学教授に就任。
* 明治2年(1869年) - 明治政府の招聘により、民部省大蔵省に出仕。このころ、密に改名。
* 明治3年(1870年)3月 - 租税権正、5月には駅逓権正兼任となり、太政官に郵便制度創設を建議。郵便制度視察および鉄道建設借款契約締結のため渡英。
* 明治4年(1871年)8月 - 帰国、駅逓頭に任じられ、郵便制度創設に尽力、日本の近代的郵便制度の基礎を確立。
* 明治5年(1872年) - 陸海元会社(現、日本通運株式会社)、郵便報知新聞(現・スポーツ報知)の設立及び刊行に関与。
* 明治6年(1873年) - まいにちひらがなしんぶんしを創刊。
* 明治10年(1877年) - 駅逓局長に任命。第1回内国勧業博覧会審査官長。
* 明治11年(1878年) - 元老院議官を兼任。
* 明治12年(1879年) - 内務省駅逓総監に任じられる。
* 明治14年(1881年) - 明治十四年の政変で辞職し、大隈重信らとともに立憲改進党を創立。
* 明治19年(1886年) - 東京専門学校(現早稲田大学)校長に就任、また関西鉄道会社社長。
* 明治21年(1888年) - 11月請われて逓信次官に、明治24年(1891年)3月まで在職した。官営電話交換制度を実施。
* 明治27年(1894年) - 北越鉄道株式会社の社長に就任、北越鉄道直江津 - 新潟)建設を開始。
* 明治35年(1902年) - 男爵授与。
* 明治37年(1904年) - 貴族院男爵議員に選任〔衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、84頁。〕。
* 大正8年(1919年) - 神奈川県三浦郡西浦村大字芦名(現在の横須賀市芦名)の別荘如々山荘にて没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Maejima Hisoka 」があります。




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