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前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、歌人。日本芸術院会員。妻の前川緑、子の前川佐重郎も歌人。 ==来歴== 奈良県南葛城郡忍海村(現葛城市)生まれ。1921年、下淵農林学校卒業。同年竹柏会「心の花」入会、佐佐木信綱に師事する。木下利玄らの「曙会」にも参加。東洋大学専門部倫理学東洋文学科卒業。超現実主義やマルクス主義の影響を受け、1928年、五島茂らと新興歌人連盟の結成に参加。さらにプロレタリア歌人同盟の結成に加わり、「短歌前衛」等に出詠した。1930年、第一歌集『植物祭』刊行。ダダイズム的・超現実主義的な歌が歌壇に衝撃を与え、モダニズム短歌の旗手と評価されるようになる。この頃の作品には口語的表現も多数見受けられる。翌年、石川信夫、斎藤史らと「短歌作品」創刊。前川の指導をうけたものに大西民子などがいる。 父の死後奈良に帰住。「カメレオン」同人から分派する形で1934年6月に歌誌「日本歌人」創刊。同誌からは塚本邦雄、前登志夫、山中智恵子、島津忠夫、大西巨人といった俊才が輩出された。保田與重郎らとの交流から日本浪漫派への傾倒を深め、自然詠を多く詠んだ。1940年、伝説的な合同歌集「新風十人」に参加〔参加者は、前川佐美雄のほかに、筏井嘉一、加藤将之、五島美代子、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、常見千香夫、坪野哲久、福田栄一。また、1998年に石川書房より文庫版が刊行された。〕。戦争賛歌を発表していたことから戦後は戦争責任を糾弾されるも、塚本邦雄や岡井隆らの前衛短歌運動の中で再評価の機運が高まった。1954年から1988年まで朝日歌壇の選者をつとめた。 1970年、奈良を離れて神奈川県茅ヶ崎市に転居。1971年『白木黒木』を刊行し、翌年第6回迢空賞を受賞した。1989年、日本芸術院会員。 妻の妹は五味康祐と結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前川佐美雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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