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前川辰男(まえかわ たつお、1920年(大正9年)- )は、三重県の地方議員。四日市市議会議員を7期務める。昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。三重県四日市市(塩浜地区)出身。高花平(新興住宅団地)連合自治会長。〔前川辰男は高花平団地に引越して高花平小学校創設に尽力した。〕一志郡(久居市)生まれ。日本社会党所属。四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。〔『続・近くの山で出会う花』190頁、中日新聞社発行、前川辰男執筆〕 ==経歴== *四日市市塩浜地区を中心とする四日市コンビナートから大気汚染で発生した四日市ぜんそくの公害裁判の公害患者による訴訟を推進した政治家。 *1920年(大正9年)に、一志郡久居町(その後の久居市で現在の津市)に誕生する。 *大正世代の男性として太平洋戦争中に神奈川県川崎市の東芝(軍需工場)に勤務した後、〔四日市の礎Ⅱ60人のドラマその横顔90頁〕復員をした。労働組合に加入して貧困問題や労働問題に興味を持ち、地元塩浜地区が工業化した事による労働者が抱える問題に取り組んだ事から社会主義思想を持ち日本社会党に入党した。学歴は三重県立工業学校(現在の三重県立松阪工業高校)応用化学専攻卒業である。 *塩浜地区に移住して四日市市職員になるため公務員を試験を受けて、公務員となった。松阪工業高校で学んだ化学や工業の知識が四日市公害運動に役立った。 *四日市市職員として、四日市市内の公務員で組織する市職労出身である。自治労(全日本自治団体労働組合)の支援で当選した。1959年(昭和34年)5月に初当選。1回の落選を挟んで四日市市議会議員を7期当選。 *1959年(昭和34年)に塩浜地区出身の議員として1期目の当選をする。伊勢湾台風から復興を目的とする民主団体の水害対策協議会の次長となる。 *1963年(昭和38年)に2期目の当選をする。 *1967年(昭和42年)に3期目の当選をする。 *1971年(昭和46年)の選挙で落選する。 *1975年(昭和50年)に高花平団地を地盤として4期目の当選をする。 *1979年(昭和54年)に5期目の当選をする。 *1983年(昭和58年)に6期目の当選をする。 *1987年(昭和62年)に7期目の当選をする。 *1991年(平成3年)に四日市市議会議員を引退する。 *1970年(昭和45年)5月22日 から~ 1971年(昭和46年) 4月30日まで第38代四日市市議会副議長。1981年(昭和56年)5月15日から1982年(昭和57年)5月18日まで第44代四日市市議会議長。大気汚染による公害対策に取り組んで活躍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前川辰男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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