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前橋二子山古墳(まえばしふたごやまこふん)は、群馬県前橋市文京町にある前方後円墳。「天川二子山古墳(あまがわ-)」とも。二子山児童公園に保存され、国の史跡に指定されている(指定名称は「二子山古墳」)。 == 概要 == *墳丘全長104m *後円部径72m〔大塚初重・小林三郎編『続日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年、438頁。〕、高さ11m *前方部幅76m、高さ9.5m 前橋台地の東端に位置し、前方部を西北に向ける。前橋天神山古墳や前橋八幡山古墳とともに朝倉・広瀬古墳群を構成する。 墳丘は二段築成で河原石の葺石がみられる。全長に比べ前方部の幅が大きく、くびれの少ない形をしている。埋葬施設は不明であるが、かつて石室の一部が崩落して開口したとの伝承がある。また、当古墳出土とされる人物埴輪が東京大学に所蔵されている〔『図説日本の史跡 2 原始2』(同朋舎出版、1991)、p.79〕。 昭和2年(1927年)に国の史跡に指定された。1980年、94年に幅35mの周堀が調査され、覆土に6世紀中葉の降下火山灰であるHr-FPが堆積していたことから、6世紀中葉以前に築造された可能性が高い。 6世紀後半代に前橋台地に強大な勢力を誇った豪族、日本各地の大化改新関連の記事に出てくる朝倉氏の祖父、あるいはその一族の有力豪族の墳墓とみられる〔前橋市教育委員会文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった 朝倉・広瀬古墳群』、2013年6月、12頁〕。 萩原朔太郎の「二子山附近」という詩に本古墳が登場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「前橋二子山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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