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加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の評論家、庶民文化研究家、紙芝居作家。 == 経歴 == 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった(『ふたりの昭和史』p.114)。 師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働きながら太平洋美術学校を卒業。紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時で、高等小学校卒業後、一度は逓信省に入ったものの、昭和初年、永松健夫が生んだ『黄金バット』などの後期の作画や興行に従事し成功、役所勤めより紙芝居の方が収入になったので逓信省を退職。紙芝居衰退後の1960年ころから、庶民史、世相・風俗・文化史などの評論を始める。落語、犯罪、ヤクザ、遊興に関するものが多い。1986年、日本福祉大学教授。思想の科学社社長も務めた。また、神戸時代の水木しげるに紙芝居作家として道をつけたのも加太である。 曾祖父に彰義隊士がいる。幕末の豪商の加太八兵衛が出た「加太(かぶと)家」の子孫であり、同じく加太家の子孫であるドイツ文学者山下肇と、その縁で共著『ふたりの昭和史』を出している。 神奈川県で毎年行われている手作り紙芝居コンクールでは、最優秀賞を加太こうじの名前を冠した「加太こうじ賞」と名づけている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加太こうじ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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