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北田 傀子(きただ かいじ、本名:北田 茂(きただ しげる)、1923年(大正12年)5月7日 - )は、日本の自由律俳句の俳人。自由律俳句結社「草原」主宰、月刊随句誌『草原』を発行する随句社社主。前号は千秋子。 == 経歴 == 山口県大島郡小松町中田(現・周防大島町小松)に生まれる。 1938年に上京し、淀橋区の薬局で働き始めるとともに、夜間学校に入学する。1940年、自由律俳句結社「層雲」に入門。荻原井泉水に師事する。この時の俳号は千秋子。1944年、応召され、広島船舶通信連隊補充隊に配属される。1945年、台北の野戦病院で終戦を迎える。同年、東芝に入社。以降、1983年に定年退職を迎えるまで、途中タイへの出向をはさみつつ、同社に勤務する。1949年、岡野宵火が中心となって発刊された『河童』へ参加する。なお河童はその後、18号で廃刊となった。1956年、神奈川県座間市へ転居する。以降時折、座間市文化財調査員として座間市の歴史調査にあたる。2001年、層雲を退会。同年、草原の前身となる「かもめサイト」を発足させる。2002年、自由律俳句結社草原を創立し、現在へ至る〔北田傀子「著者略歴」『傀子集』随句社、2011年。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北田傀子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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