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北見駅(きたみえき)は、北海道北見市大通西1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)石北本線の駅。JR北海道の駅番号はA60。特別快速「きたみ」の始発・終着駅であり、特急「オホーツク」を含めた全旅客営業列車が停車する。 == 歴史 == * 1911年(明治44年) * 7月8日:野付牛機関庫設置。 * 9月25日:鉄道院網走線(後の網走本線)が淕別駅から延伸、終着駅の野付牛駅(のっけうしえき)として開業。一般駅。 * 1912年(大正元年)11月8日:湧別軽便線(後の留辺蘂軽便線、湧別線)が留辺蘂駅まで開業。跨線橋設置〔大正元年度 鉄道院年報。〕。 * 1913年(大正2年)6月2日:野付牛機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。 * 1914年(大正3年)10月5日:網走線が当駅から網走駅まで延伸。 * 1932年(昭和7年)10月1日:湧別線の一部が石北線に編入され、当駅は網走本線と石北線の接続駅となる〔。 * 1933年(昭和8年)11月30日:北聯(現・ホクレン農業協同組合連合会)野付牛薄荷工場竣工。専用線使用開始。 * 1937年(昭和12年):日清製粉野付牛工場竣工〔北見市史 下巻 P405。〕。専用線使用開始?〔昭和25年版から昭和58年版全国専用線一覧にて0.4km。〕。 * 1940年(昭和15年)4月:軍需工場として馬鈴薯を利用したガソリン代替燃料アルコール製造の野付牛酒精工場が操業開始〔北見叢書 第10集 『北見の町の軍需工場 -アルコール工場の顛末-』 大島乙彦著、1997年「北見叢書」刊行会発行。〕。専用線0.6㎞〔専用線は工場建設資材の運搬にも使用するため、1939年(昭和14年)3月からの建設工事当初に短期間で敷設された。軍需工場の稼働中は毎日40~50輌の貨車が入構した。戦後も監督局は変わったものの国営工場のままで飲料用アルコールの製造を行っていたが、採算が取れず工場閉鎖となった。〕。 * 1942年(昭和17年)10月1日:市制施行を機に、北見駅に改称〔。野付牛機関区も北見機関区に改称。 * 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道(国鉄)に移管。 * 1950年(昭和25年)2月1日:北見客貨車区設置。 * 1951年(昭和26年)6月:北見酒精工場閉鎖に伴い専用線使用停止〔。 * 1953年(昭和28年)12月:旧・北見酒精工場を利用して北見林産興業がパルプ工場(後の北見パルプ北見工場)竣工。専用線も再使用〔〔昭和32年版全国専用線一覧より記載。網走本線(後の池北線)より分岐、0.6㎞。〕。 * 1961年(昭和36年)4月1日:網走本線が分割され、当駅は石北本線と池北線の接続駅となる〔。 * 1968年(昭和43年)10月1日:みどりの窓口設置。 * 1977年(昭和52年)9月18日:日本初の地下化による連続立体交差事業が完成(北見トンネルの開通)。 * 1981年(昭和56年)7月16日:構内を横断する地下道が完成。 * 1983年(昭和58年)10月1日:駅舎改築。 * 1986年(昭和61年)11月1日:荷物・貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。北見コンテナセンターが設置され、自動車代行輸送を開始。 * 1987年(昭和62年) * 3月31日:駅における貨物の取扱を再開(一般駅に戻る)。秋・冬季のみ貨物列車が運行されるようになる。 * 4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる〔。また、北見コンテナセンターはJR貨物が継承。 * 1989年(平成元年)6月4日:池北線が北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換。 * 2000年(平成12年)12月2日、駅南北を結ぶプロムナード(中央プロムナード)が開通。 * 2006年(平成18年) * 4月1日:北見コンテナセンターが廃止され、北見駅に編入。 * 4月21日:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃止。 File:北見トンネル040613.JPG|北見トンネル 北見駅側(2004年6月) File:Kitami tunnel01.JPG|北見トンネル 西北見駅側(2009年10月) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北見駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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