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千葉 胤綱(ちば たねつな)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。千葉氏の第6代当主。第5代当主・千葉成胤の子。鎌倉の甘縄に本拠地を置いた〔鎌倉・室町人名事典〕。 == 略歴 == 建保6年(1218年)、父の跡を継いで当主となる。承久元(1219年)7月、四代将軍として迎えられた藤原頼経の鎌倉下向に供奉。 承久3年(1221年)の承久の乱では北条泰時と共に東海道を西上し、功を挙げた。戦後、上皇に加担した坊門忠信の身柄を預かり、途中まで連行している。なお、忠信は途中で身柄を釈放されている〔鎌倉・室町人名事典〕。 安貞2年(1228年)5月28日、21歳の若さで死去し、跡を弟の千葉時胤が継いだとされている(『吾妻鏡』・『千葉大系図』)。 ただし、本土寺の過去帳に載せられている「千葉介代々御先祖次第」には、「第四 胤綱 卅一歳、安貞二年戊午五月廿八日」と記されており、また九州千葉氏の子孫に伝えられた『平朝臣徳嶋系図』も享年を31歳とする〔丸井敬司『千葉氏と妙見信仰』(岩田書院、2013年) ISBN 9784872947946 P33。〕。更に承久の乱で14歳の若武者が一軍を率いるという年齢的な問題もあることから、享年31を採用して建久9年(1198年)生まれとし、『千葉大系図』では成胤の子(胤綱の弟)とされている時胤・泰胤兄弟を胤綱の実子とする説〔〔千葉県史料研究財団 編『千葉県の歴史 通史編 中世』(千葉県、2007年)P130-133。〕もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千葉胤綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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