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台湾外記(たいわんがいき、繁体字:臺灣外記)は、清朝初期,康煕帝の時代に書かれた鄭氏一族の事蹟を書いたものである。『臺灣外紀』、『臺灣外誌』ともされる〔台灣外記 ,台灣大百科全書〕。 作者は、清の江日昇である。彼は、南明の将軍の子供である。史書との間の体裁をとり、鄭芝龍、鄭成功、鄭経、鄭克塽家族の発展の事蹟を書いている。鄭氏一族の資料がきわめて少なく、本書は小説でありながらも、内容は江日昇の父から情報もあり、資料がない空白部分を埋めており、学術上も重要な資料とされる。 江日昇の父、江美鰲は、南明の将軍であり、最初は、鄭彩指揮下にあり、後に鄭成功の指揮下に加わった。鄭彩の命令で、唐王朱聿鍵を福建まで送り、唐王朱聿鍵はこの地で隆武帝と称した。三藩の乱の時、鄭経は広東省恵州を攻撃した後、江美鰲は、連平知州に任じられた。その後、清朝に投降している。江日昇は幼少から父が鄭氏一族について話すのを聞いており、後に、「閩人が閩の事蹟を話す、国史を編修する者に採択させなければならい」として、本書を著している〔江日昇,《台灣外記・自序》〕。 本書の記事に書かれている内容は、明の天啓元年(1621年)、鄭芝龍が泉州から澳門に移るところから始まり、清の康煕22年(1683年)、鄭克塽が清に降伏するまでの63年の事蹟である。その内容は、鄭芝龍の活躍を始める所から始まり、隆武帝の朝廷を助けること、鄭成功の家族、清朝への抵抗、和平と最後の投降にまで及んでいる。 は、明の鄭氏に触れる伝記文献の中で、『臺灣外記』は首尾一貫しており、すこぶる価値のあるものだ、と評価している〔葉石濤《台湾文学史綱》〕。 ==書目章卷== # 自序 # 卷一、江夏侯驚夢保山 顏思齊敗謀日本 # 卷二、蔡善繼出海招安 盧毓英陸鵝被獲 # 卷三、往舊鎮芝龍就撫 戰赤湖劉香殞命 # 卷四、登煤山明祚攸終 定燕都我朝一統 # 卷五、唐監國福州假號 黃道周南京盡節 # 卷六、肇慶府桂王僭位 曾厝鞍施郎逃生 # 卷七、困漳州金礪解圍 逃舟山魯王入海 # 卷八、國軒合謀歸鄭藩 甘煇用火破仙遊 # 卷九、獻海澄黃梧歸誠 護國嶺格商被斬 # 卷十、成功敗積於江南 甘煇死節於崇明 # 卷十一、何斌獻策取臺灣 黃梧密疏遷五省 # 卷十二、入緬甸桂王受辱 閱祖訓成功歸天 # 卷十三、周金斌金廈大戰 陳永華東寧建國 # 卷十四、施提督兩疏進剿 王巡撫遺疏開界 # 卷十五、明尚書入閩議撫 范總督抵任上琉 # 卷十六、下漳州啟泰死難 通海上三藩俱舉 # 卷十七、黃芳度畏迫詐降 耿精忠見敗修好 # 卷十八、授南邦之信遇敵 破清漳吳淑獻城 # 卷十九、平福省范公死節 戰龍江許耀逃竄 # 卷二十、敗七府國泰執法 入潮州進忠歸正 # 卷二十一、劉國軒大鬧江東 段應舉被困海澄 # 卷二十二、國軒率眾圍泉城 啟聖具題復遷界 # 卷二十三、盛天福克𡒉監國 坂尾寨吳淑喪身 # 卷二十四、劉國軒單騎救主 陳永華墮計辭權 # 卷二十五、錫范為婿試克𡒉 啟聖保題請施琅 # 卷二十六、施提督連疏議勛 姚即院遣使再撫 # 卷二十七、克塽信讒斂百姓 藍理負傷攻澎湖 # 卷二十八、江勝邱煇雙盡節 國軒良驥遁臺灣 # 卷二十九、武平伯力勸納款 寧靜王一門殉烈 # 卷三十、施將軍議留臺灣 大清國四海太平 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾外記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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