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三五公司源成農場(さんごこうしげんせいのうじょう)とは、日本統治下の台湾台中州において、当初日本人小作移民を招来して小作制経営を行い、自己の所有する製糖会社に原料甘蔗を供給させることを目的として、愛久澤直哉(あくざわなおや)により設立された農場である〔浅田(1966年)158ページ〕。 == 来歴 == * 1909年(明治42年)台中州北斗郡二林庄(現在の彰化県二林鎮)において官有予約開墾許可地456甲の払い下げを受け、隣接する民有地1,569甲を買収した上で、同年5月までに86戸(322人)の日本人農民を招来して開設された〔。なおこの土地は、当時の彰化庁庁官小松吉久が、台湾人の民有地に弾圧を加えて、約3000甲の土地をたった一日で強制買収したものを得たものであった〔竹中(1995年)174ページ〕。 * 1910年(明治43年)には改良製糖部を設立して赤糖の製造を開始した〔。水田には蔗作も行った〔。その後、蔗作の割合も漸増した〔。 * 1933年(昭和8年)新式製糖工場を開設し、赤糖製糖から分蜜糖製糖に転換した〔浅田(1966年)159ページ〕。 * 1935年(昭和10年)における合資会社三五公司源成農場の資本金は335万円であったとの記録が残っている。これによると遅くとも同年までには合資会社形態をとっていた。また同社の役員の記載は以下のとおりである。代表社員愛久澤直哉。社員愛久澤文。社員愛久澤備。主事小林正之介の4名である。さらに「合資会社三五公司源成農場製糖部」として貸借対照表が記載されている〔日本糖業連合会著「製糖会社要覧」(1936年)〕。 * 1937年(昭和12年)より小作水田の三年輪作を開始、1939年(昭和14年)より蔗作期間は会社が農場を直営し、稲作期間は所有耕地を従前通り小作経営とする体制(蔗作直営稲作小作経営)に移行した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三五公司源成農場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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