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吉井 怜(よしい れい、1982年(昭和57年)3月18日 - )は日本の女優、タレントである。 所属事務所はホリエージェンシー。本名、飛知和 怜(ひちわ れい)。 == 人物・略歴 == 東京都立永福高等学校(現・東京都立杉並総合高等学校)卒業。 デビュー当時は清純派アイドルだった〔。 1996年、テレビ東京の情報番組『IT'sアクセス』でTVデビュー〔闘病記|がんサポート 人気アイドルを襲った「白血病」という運命の悪戯 〕。 1998年、テレビ東京の特撮番組『仮面天使ロゼッタ』のヒロイン・神あすか役で、初主演を果たしブレイクした〔。 1999年、所属事務所の親会社・ホリプロに所属の優香、堀越のり、唐沢美帆と共に1か月の期間限定音楽ユニットNITROとして活動。同年度のフジテレビビジュアルクイーンに選出。 2000年、奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症した。病名は両親にだけ伝えられ、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられた。医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられ、芸能生活がおしまいだと絶望感を味わったが、当時の専務の「待っているから」という言葉にはげまされた〔。治療では無菌室に入り、1回目の抗がん剤の投与で髪の毛が抜け落ち爪も黒くなった〔。入院から一か月後に白血病であると知らされた。抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月がかかった〔。医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めたが、彼女は芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選んだ〔。自宅に戻ったがすぐに芸能界には復帰できず、兄の「生きてなかったら、仕事もできない」という言葉で骨髄移植を受ける決意をした〔。2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けた〔。移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしている。血液型がA型からO型に変わった〔〔手術前、本人は不妊になる可能性が高くなるという理由から骨髄移植を相当悩んだが、医師から「私たちは過去の経験に基づいてでしか不妊になると言えないので、不妊になる可能性が高くなってしまうとしか言えない」と説得され、骨髄移植に踏み切ったという。〕。 その闘病記『神様、何するの』(2002年)はベストセラーとなり、2003年末にはフジテレビの番組『金曜エンタテイメント』内で宮地真緒主演でドラマ化された〔。 2004年に映画『火火』で無菌室に入院したがん患者の世話をする役を演じたが精神的に苦しかったという〔。 2006年公開の映画『LOVE MY LIFE』においてオールヌードを披露した〔。 2009年4月開始の昼ドラマ『エゴイスト 〜egoist〜』では、川島なお美の演じるトップ女優の隠し子役として〔、11年ぶりに連続ドラマ主演を果たす(全国ネットとしては初主演)〔このドラマでは「神様、何するの」のテレビドラマ版で吉井の役を演じた宮地真緒と共演している〕。 2011年デビューから15周年記念写真集「ここから」で大胆ヌード写真集を披露した。同年11月公開の映画『夕闇ダリア』では略奪愛を行うヒロインを演じた、また『寄性獣医・鈴音 GENESIS×EVOLUTION』では神楽坂恵とハードなバトルアクションを演じた。 2012年5月、写真集「SOSEXY 吉井 怜 “Falling Angels” by Shingo Wakagi」が発売された。 * 憧れの女優は山口智子(インタビューで)、観月ありさ。小さい頃に観月のドラマを見ていた(2009年5月20日放送『グータンヌーボ』より)。 * 親友は歌手、声優、ラジオパーソナリティのmyco。 * 父親の勤務の都合で小学生時代の一時期を北海道で過ごす〔「月刊吉井怜」2004年、新潮社〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉井怜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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