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吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8日 - 1970年(昭和45年)9月14日)は、日本の内務官僚、政治家。山梨県知事。号は知山。 == 来歴・人物 == === 出生から内務官僚時代 === 京都府愛宕郡八瀬村(現・京都市左京区)に吉江四郎の長男として生まれる。京都府立第一中学校(現在の京都府立洛北高等学校)、第三高等学校文科を経て1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部英法科を卒業。 在学中に高文行政試験に合格し、1929年(昭和4年)に内務省に入省し静岡県勤務となり、その後、香川県、滋賀県の警察部警務課長から警視庁警視として大塚及び品川警察署長を経て1931年(昭和7年)に山梨県警察部保安課長となる。翌年、警視庁交通課長となった後、愛知県農務課長、1939年(昭和14年)に佐賀県警察部長、厚生省体育課長、内務省大臣官房勤務の後、戦時下の1942年(昭和17年)に陸軍占領地司政官としてジャワ島やジャカルタに赴任しジャカルタ特別市長、ケデリ州長官を歴任。家族は山梨県南巨摩郡増穂町(現・富士川町)に疎開している〔山梨県知事就任以前の前歴は「吉江勝保・天野久立候補の言葉・経歴」『山梨日日新聞』(以下『山日新聞』)昭和26年4月4/7日、『山梨県史』資料編15近現代2政治行政Ⅱ(以下『県資』15)所載)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉江勝保」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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