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吉良 満氏 / 足利 満氏(きら みつうじ / あしかが みつうじ)は鎌倉時代後期の鎌倉幕府の御家人。足利氏の一族吉良長氏の嫡男。西条領主。 == 生涯 == 『吾妻鏡』には建長4年(1252年)4月1日、新将軍宗尊親王の鎌倉入りの随兵として登場するのが最初で、正嘉元年(1257年)から廂番、正元2年(1260年)には昼番衆として表れる。弘長3年(1263年)8月の記事を最後に『吾妻鏡』から名前が見えなくなるが、吉良荘へ帰ったらしい。文永8年(1271年)、吉良氏の菩提寺として実相寺(現在の愛知県西尾市)を創建、東福寺の円爾を招いて開山式を行っている〔江戸期に吉良義定が華蔵寺を菩提寺とするまで西条吉良氏の菩提寺であった。〕。建治元年(1275年)頃、文永の役に動揺した幕府の日本海沿岸諸国の大規模な守護更迭策によって越前守護に任ぜられる。鎌倉時代に足利氏の庶流で守護になったのは満氏が唯一であり、異例の人事だった。弘安8年(1285年)11月17日、鎌倉で霜月騒動が起こり、平頼綱の軍勢と戦って敗れ自害して果てた〔かつて(1970年代後半頃まで)は『今川記』の記述により、若年のうちに隠居し禅の修業に励んだと言われ、没年も元応2年(1320年)とされ、かなりの長命であったと思われていた。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉良満氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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