翻訳と辞書
Words near each other
・ 吉見 (佐倉市)
・ 吉見 (津山市)
・ 吉見 (田尻町)
・ 吉見りいな
・ 吉見ノ里駅
・ 吉見マサノヴ
・ 吉見一星
・ 吉見一豊
・ 吉見一起
・ 吉見中学校
吉見乾海
・ 吉見佑子
・ 吉見俊哉
・ 吉見信一
・ 吉見信頼
・ 吉見公子
・ 吉見坂
・ 吉見太一
・ 吉見宏
・ 吉見就頼


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

吉見乾海 : ミニ英和和英辞書
吉見乾海[よしみ けんかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ほし]
  1. (pref) dried 2. cured

吉見乾海 : ウィキペディア日本語版
吉見乾海[よしみ けんかい]

吉見 乾海(よしみ けんかい / のりみ、 1864年12月16日元治元年11月18日)- 1942年昭和17年)11月29日)は、日本海軍軍人教育者。最終階級は海軍中将海城学園の第2代理事長・校長。
== 経歴 ==
現在の新潟県長岡市出身。海軍兵学校に首席入校〔『海軍兵学校物語』「ハンモックナンバー」〕し、12期を卒業。同期に有馬良橘大将、山屋他人大将がいる。海軍大臣官房人事課僚在職中の1897年(明治30年)12月1日、海軍少佐に進級。「浅間」回航委員として英国出張。帰国後横須賀鎮守府艦隊参謀、「明石」副長、佐世保鎮守府参謀、「敷島」副長を歴任し、海兵教頭兼監事長在職中の1905年(明治38年)8月5日、海軍大佐へ進級。「秋津洲」艦長、海軍大学校選科学生、「周防」艦長、旅順工作部長、佐世保海軍工廠造兵部長と進み、1911年(明治44)12月1日海軍少将呉海軍工廠水雷部長、造兵廠長を歴任。1915年大正4年)12月1日、海軍中将昇進と同時に予備役編入となる〔『官報』第1001号、大正4年12月2日。〕。
その後は海城学園の経営にあたる。同学園の創立者である古賀喜三郎は当初同じ佐賀藩出身で娘婿の江頭安太郎を後継者と決めていたが江頭は軍務局長在任中47歳で病没。そこで江頭の同期生である吉見に後を託すこととなった。吉見は理事長・校長として1942年(昭和17年)に亡くなるまで在任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉見乾海」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.