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周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役〔会社概要 - 太田出版〕〔。 == 来歴 == 幼少時は野球好きで、野球をするために中学はわざわざ越境入学してまで武蔵工業大学附属中学校・高等学校に進学。しかし中学2年の時に肘を痛めて野球の道は断念した〔渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「周防正行監督・Shall we ダンス?」 - NHK BSコラム・2011年11月14日〕。高校卒業後に2年間浪人生活を送る〔。 1981年、立教大学文学部仏文科卒業後、在学中に非常勤講師として来ていた蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、映画監督を目ざす〔立教大学 〕。その後イメージフォーラム映像研究所に進みながら、高橋伴明・若松孝二・井筒和幸といった監督のもとで助監督として修行を積む〔。 1984年に小津安二郎へのオマージュを含んだピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。朝日新聞で蓮實がその年のベスト5にあげた。その後、矢島周平名義にてピンク映画にかかわるが、1989年の『ファンシイダンス』で一般映画に進出。1992年『シコふんじゃった。』、1998年『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞。 1993年にはアルタミラピクチャーズの設立に参加〔周防正行(SUO MASAYUKI) - アルタミラピクチャーズ〕。1997年7月、「Shall we ダンス?」の全米配給で関係の生まれたミラマックスと、以後の映画製作に関するファーストルック契約を結ぶ〔『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』p.365〕(現在は失効)。2007年に太田出版の監査役に就任〔太田出版、監査役に周防正行監督 売上高8億6657万円で増収 - 文化通信・2007年12月19日〕。映画「マルサの女」のメイキングビデオの演出を行った関係で故・伊丹十三監督の名前を冠した伊丹十三賞の選考委員を行っている。 2008年、『それでもボクはやってない』が2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれる。2009年、草刈民代とともに第2回プラチナ夫婦アワードを受賞。 2011年6月に発足した新時代の刑事司法制度特別部会の委員に選ばれ「取り調べの全面可視化」「証拠の全面開示」「人質司法改善すること」を主張〔2014年4月23日中日新聞朝刊33面「冤罪の危険省みられていない〜捜査側可視化骨抜きの恐れ」〕。 2013年、『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した。翌2014年、山路ふみ子映画賞において第31回文化賞を受賞した〔受賞者一覧 、山路ふみ子文化財団、2014年11月20日閲覧。〕。 幼少の頃の野球好きから、現在でも東京ヤクルトスワローズの熱狂的ファンである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「周防正行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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