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和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。 ==来歴・人物== 茂木由美子は、戦後間もなく東宝撮影所で通訳をしていた頃、脚本の校正をしたのがきっかけで市川崑と知り合った。市川は文才とアイディアに満ちあふれる茂木を愛し、二人は1948年に結婚。茂木は以後40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、脚本家・和田夏十としてその生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。 そもそも「和田夏十」という名は、東宝撮影所時代に市川と茂木が共同執筆するために考案したペンネームだった。「和田」は茂木がNHKの和田信賢アナウンサーのファン、「ナット」は市川がイギリスの二枚目俳優ロバート・ドーナットのファンだったことに由来。その後1951年の『恋人』で市川が「脚本の才能ではとても妻に及ばない」とこれを茂木に譲り、以後は彼女専用のペンネームになったという経緯がある。その後市川がどうしても和田と共同執筆をしたい場合には、「久里子亭」(くりすてい)というペンネームを用いたが、これは市川がアガサ・クリスティを崇拝していたことに由来する。 和田夏十および久里子亭の名は、ほぼすべての市川作品にクレジットされている。乳癌発症後は闘病で脚本執筆が思うようにできない時期もあったが、それでも市川にさまざまなアドバイスをして和田風の脚本を書かせており、クレジットの有無にかかわらず和田夏十は市川映画と不可分の存在だった。 市川は自己の監督作品が称賛されると、「それは、夏十さんの功績です」と答えるのが常だった。実際二人の関係には「夫婦」や「同僚」のそれを越えた、「同志」のようなものがあった。 18年間の乳癌との闘病の末に死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田夏十」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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