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四方諒二 : ミニ英和和英辞書
四方諒二[しかた りょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よん]
  1. (num) four 
四方 : [よも]
 (n) every direction
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
: [に]
  1. (num) two 

四方諒二 : ウィキペディア日本語版
四方諒二[しかた りょうじ]

四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年4月28日 - 昭和52年(1977年12月13日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将
==経歴==
兼松商店の役員であった四方素の二男として神戸市で生れる。第一神戸中学校大阪陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、大正6年(1917年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第19連隊付となる。大正13年(1924年)3月、陸軍委託学生として学んだ東京外国語学校独語)を修了。昭和2年(1927年)6月、兵科憲兵科に移し憲兵大尉となり、咸興憲兵分隊長となった。
小倉憲兵分隊長を経て、昭和5年(1930年)4月から3年間、陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部で学ぶ。
以後、ハルピン伝家甸憲兵分隊長、関東憲兵隊司令部員、久留米憲兵隊長、憲兵司令部員、憲兵司令部第2課長などを歴任し、昭和16年(1941年)3月、憲兵大佐に昇進。同年11月、中支那派遣憲兵隊長、東京憲兵隊長、憲兵司令部本部長兼東京憲兵隊長、上海憲兵隊長、中支那派遣憲兵隊司令官などを経て、昭和20年(1945年)6月、陸軍少将に進級した。東條英機関東軍憲兵司令官だった際に副官をつとめ、東條側近として知られた。
戦後、BC級戦犯容疑で逮捕されたが、昭和23年(1948年)2月、無罪判決を受け釈放され、同年8月に復員した。その後は逼塞し、公の場に全く出なかったが、毎月の東條の命日には東條家の訪問を欠かさなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「四方諒二」の詳細全文を読む




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