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円谷 英二(つぶらや えいじ、本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月7日 - 1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、「株式会社円谷特技プロダクション」初代社長。旧制東京電機学校(現:東京電機大学)卒業。 == 概要 == 昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから特撮の神様と呼ばれる。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。 円谷英二の誕生日は、現在まで様々な文献に言われ、1901年(明治34年)7月5日説や7月7日説があったが、円谷家の子孫である円谷誠が家系図を調べているうちに、円谷英二(家系図では円谷英一) の項目が誕生日7月10日であることを確認し、 念のため市役所の戸籍も調べたが、7月10日に間違いがなかったという(ただ、出生届を出すのが遅れたために役所の記録上は10日の日付で登録されてしまっていたのではないか?という見方もある)。 円谷英二のもとには数多くの若き才能が集ったが、彼らは親しみをこめて「オヤジさん」と呼んだ。〔「サンデー毎日」2016年4月10日増大号〕 円谷プロダクション公式ホームページの「創業者・円谷英二」の項によると、現在のところ、関係者間では「英二の誕生日は7月7日」というのが共通見解となっているとのことである。 一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ。墓所は東京都府中市のカトリック府中墓地にある。 1957年の東宝特撮映画『地球防衛軍』までは、圓谷英二の表記名で映画にクレジットされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「円谷英二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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