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堀田正亮 : ミニ英和和英辞書
堀田正亮[ほったただしあきら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

堀田正亮 : ウィキペディア日本語版
堀田正亮[ほったただしあきら]

堀田 正亮(ほった まさすけ)は、江戸時代の中期の大名老中首座。出羽山形藩3代藩主、下総佐倉藩初代藩主。正俊系堀田家5代。堀田正俊の四男堀田正武の長男。
父が幼い時に死んだため、伯父の山形藩主堀田正虎に養子に迎えられ、享保14年(1729年)の正虎の死後に3000石を与えられ、旗本として別家を立てた。正虎の跡を継いだ正春が嗣子を残さずに早世した際、急養子となり家督を継いだ。
寺社奉行大坂城代を経て老中、老中首座となる。老中在職中に宇和島藩伊達村候仙台藩伊達宗村の争いを調停した。また、老中在職中の延享3年(1746年)に佐倉へ転封となり、以後は幕末まで正俊系堀田家による佐倉の支配が定着した。
在職中に死去した。
== 経歴 ==

* 1712年正徳2年) :生まれる
* 1729年享保14年):3000石新封、旗本寄合席
* 1731年(享保16年):山形藩堀田家相続
* 1741年寛保元年):奏者番
* 1742年(寛保2年) :寺社奉行(7月1日
* 1744年延享元年):大坂城代(5月1日
* 1745年(延享2年) :老中(11月13日
* 1746年(延享3年) :佐倉に国替
* 1749年寛延2年) :老中首座
* 1760年宝暦10年):1万石加増
* 1761年(宝暦11年):死去(2月8日)、享年50

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀田正亮」の詳細全文を読む




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