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チャンコ増田(チャンコますだ・本名 増田 学(ますだまなぶ)〔、1970年(昭和45年)4月11日〔チャンコ増田@2/1福岡合同祭3開催 (@chanko_masuda) | Twitter 〕 - )は元編集者〔そして伝説へ…シリーズ 『チャンコ増田』さん(前編) 2004/05/01 探偵ファイル〕、オタク・実業家。美少女キャラクターのイラストをプリントした抱き枕を同人誌即売会などで販売して話題を集めた。同人サークルD.D.D世話役〔「チャンコ増田」のプロフィール pixiv 〕。 2009年(平成21年) 東方オンリー同人誌即売会「「博多東方祭」開催〔博多東方祭HP 〕。2010年(平成22年)7月4日に香川県高松にて中四国東方祭を開催〔増田学中四国東方祭 | イベント概要 平成25年10月28日 〕。以降は東方四国祭に合体。2011年4月3日には通算10回目の開催となる新潟東方祭9を開催〔新潟東方祭 〕〔 新潟東方祭⑨サークル参加 〕。 == 来歴 == 高校卒業後、地元企業、玩具業界紙の記者となる。本業に携わる傍ら、1990年代初頭頃からアニメグッズなどの古物販売の店「江戸主水のお店」を副業として始める。この副業はパソコン通信の売買掲示板を主な取引場所として活用した。この古物販売は時々まとまった利益をあげた。 1993年に業界紙の記者を辞め、ファミコン通信(以下ファミ通)の編集部に編集者として入社。大食漢であった事から編集部において「チャンコ増田」というあだ名がつけられ、その後本人も「チャンコ増田」をハンドルネーム・ペンネームとして用いるようになる。 ファミ通編集者時代は誌面への露出も多く、ヘアヌード(ただしヘアは陰毛ではなく脇毛)を誌上で公開するなど一種アクの強さを読者に対して印象づけた。このアクの強さを特に演出したのが、同誌に連載されていた漫画、『ファミ通のアレ(仮題)』である。同作品中にはきわどい発言・格好をするチャンコ増田がたびたび登場した。 1996年(平成8年)5月にファミ通編集部を退職、誌上では「業務中に駄菓子を購入しに外出したまま行方不明になった」事を退職理由として公表されていたが、本人いわく、正式な退職手続きを踏んだ上での離職だったとのことである。 同年10月、Leafオンリーの同人誌即売会「LeafFan」において、表裏に秋葉凪樹が描いたアダルトゲーム『To Heart』に登場するキャラクター「マルチ」のイラストを印刷した抱き枕「錦縮緬伽羅倶利娘夜伽枕」(にしきちりめんからくりむすめよとぎのまくら)を「江戸主水のお店」名義で販売した。当時このマルチというキャラクターが男性のおたくの間で絶大な人気を集めていたこともあり、続く12月のコミックマーケットにおいて販売した天王寺きつねが描いたサムライスピリッツのキャラクターナコルルの抱き枕と共に会場で大きな話題を集めた。 その後も夏・冬のコミックマーケットを中心に各種同人誌即売会やインターネット・同人ショップなどでアニメやゲームのキャラクターイラストを印刷した抱き枕を販売し、さらには追随するサークルも現れるようになり、「抱き枕」は同人界において新しい創作ジャンルとして認知されるようになった。 1999年9月ゲーメストを発行していた新声社が倒産した際、ビル内にあった同社の在庫グッズの調達に成功。後のコミックマーケットに企業出展販売することで利益を拡大した。 なお同人サークルとしての「江戸主水のお店」は1997年に活動を終了し、2005年までの同人活動は「チャンコとゆかいな仲魔たち」名義で行われるようになる。 2002年、マネーの虎に一般参加者として出演し、様々な面で話題を集めた。出演の理由は「美少女キャラの抱き枕販売を事業化を実現するため」であったが、あまりにも事業が無計画である事や、考えが幼稚な点、「オタクは素晴らしい」「オタクイズビューティフル」といった突飛な言動や、出資者である社長らへの敬称などを社長ら(出資者)に厳しく叱責された。なおこのとき商品サンプルとして持ち込んだ抱き枕の絵柄は『To Heart』のキャラクター「HMX-13“セリオ”」であった。出資者らの多くが白眼視ないしは疑念を呈するなか、出演者の川原ひろしは「これは単純に売れる」とコメントしたが、版権管理の甘さや競合阻止の甘さ、事業計画性の無さを指摘され出資0(いわゆる 2005年11月、2002年に自ら設立した有限会社トレジャーハンターを倒産させた模様。だが本人は「やる気まんまん、2006年は復活の年」とmixiの日記で豪語している。 2006年1月、サークル名を「チャンコとゆかいな仲魔たち」から「dakimakura.net」へ変更。それに伴い代表者も変更となり、本人はサークルの一員として活動するとのことだが、実質的な顔・広告塔としての立場に変更は無く、増田以外のメンバーの言動が一切確認できない。すでにToHeart2や東方Projectを題材にした抱き枕の製作を発表している。 2007年、両親の実家のある茨城県結城市にて活動。 2008年(平成20年)4月24日、サークルメンバーと協議の結果dakimakura.netを解散、新たにサークルD.D.D(同人結社・抱キ枕・團 (どうじんけっしゃ・だきまくら・だん))を結成し、心機一転出直すと発表した。但し、活動方針である「抱き枕を主体とした創作活動」や、増田氏以外の名義の代表者には変化はなく、実質的なサークル名変更とホームページの移転である。 同年、5月25日開催の博麗神社例大祭においても、サークル参加(配置:い03a)が確認されており活動形態にも変更は見受けられない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャンコ増田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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