|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 増 : [ぞう] (n) increase ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 二 : [に] 1. (num) two
増田 敏二(ますだ としじ、1915年8月14日 - 1980年10月26日)は、将棋棋士、六段。岡崎史明八段門下。棋士番号は55。東京都生れ。 == 棋歴 == 東京都の生れではあるが、後に大阪に移り、西の岡崎の弟子となる。 終戦後、順位戦が始まり、第4期(1949年度)順位戦では東西のC級乙組で三段以下が合計4名参加した。当時二段だった増田もその一人である(ほかには、東の清野静男三段・浅沼一二段、西の神田鎮雄三段)。増田は四段に飛び昇段して、翌期(第5期)の順位表に載った。 順位戦での前記を含む8年間は、勝ち越しや五分五分の成績を挙げていたが、9年目の成績が不振となった。予備クラスで指すことを良しとせず、引退した。まだ42歳であった。 1980年、脳軟化症のため〔平成10年版「将棋年鑑」〕死去。享年65。 弟子に、タイトル獲得4期の桐山清澄がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増田敏二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|