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大丸山古墳(おおまるやまこふん)は、山梨県甲府市下曾根にある古墳。東山古墳群に属する甲府盆地最古の前方後円墳で、4世紀後半の築造。甲斐銚子塚古墳、丸山塚古墳などとともに古墳群の中核を成す。2013年10月に国の史跡に指定された。 == 概要 == 所在する甲府市下曽根は甲府盆地南東縁に位置し、古墳は笛吹川左岸の大型古墳が濃密に分布する曽根丘陵上に立地する。東山北東麓の尾根鞍部で、標高は310メートル。 1920年(昭和4年)に地元民により発見される。全長99メートル、後円部径49メートル。主軸は東西方向で、前方部が西を向く。1970年(昭和45年)に『中道町史』編纂に際して調査が行われ、1976年(昭和51年)には山梨県教育委員会による墳丘測量が行われた。墳丘は自然地形の上に造成され、東西方向の主軸と並行する主体部は上下二段の構成で、長さ2.2メートル、幅0.8メートル。組合式石棺の蓋石上に割石小口積みで竪穴式石室が構築されている特異な形態で、京都府向日市向日の妙法山古墳との類似が指摘されている。 細部の調査は行われておらず、墳丘上の埴輪や葺石は確認されていない。石棺内部は朱塗され、成人男女2体の遺骸とともに出土遺物が見られる。石室下段からは岐阜県岐阜市の打越古墳と静岡県磐田市の寺谷銚子塚古墳と同笵(どうはん)関係を持つ三角縁日月銘獣文帯三神三獣鏡、環状乳神獣鏡、変形獣形鏡、八禽鏡が、石棺内からは全体が磨かれた花崗岩製で表面に朱が付着した石枕や管玉などが発見された。 ほか、農工具類では上段の竪穴式石室内からは渡来系工人の作と考えられている細工が施された鉄製柄付手斧、木質跡や布が付着した跡が見られる短冊形鉄斧、有袋形鉄斧、25点の鉋、鑿、鋸、刀子、木質跡のある鉄鎌が、武器類では鉄剣、鉄刀などが、武具では17枚の鉄板が綴じられた鉄製短甲である竪矧板皮綴短甲が出土している。出土遺物の多くは東京国立博物館に所蔵されている。 築造時期については、甲斐銚子塚古墳との前後関係をめぐる議論があり、4世紀半ばから5世紀前半まで幅があったが、現在では鋲留の手斧や短甲の様式から大丸山古墳が先行すると考えられている。東山地域には弥生時代後期後半から古墳時代前期前半にかけて方形周溝墓が築かれた上の平遺跡があり、甲府盆地において安定した生産力を得られる地域であったと考えられている。 富士山西麓(のちの中道往還)を経て畿内の影響を受けた古墳文化が流入し、大丸山古墳東側の米倉山には県内初の古墳で唯一の前方後方墳である小平沢古墳が築造される。小平沢古墳以後に大丸山古墳が出現するため、この頃には畿内で確立したヤマト王権へ汲み込まれていったと考えられており、東山地域には畿内色の強い甲斐銚子塚古墳が出現する。また、東側には大丸山古墳と同時期(前後関係不明)の方形周溝墓が見られる東山北遺跡があり、両者の政治的関係が問題とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大丸山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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