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111号艦(ひゃくじゅういちごうかん)は、大和型戦艦四番艦として計画された戦艦であるが、建造中止となり解体された〔#庭田、建艦秘話54-55頁『2.第百十一号艦について』〕〔#海軍軍備(3)p.10『三.戰艦信濃及紀伊の建造工事中止 (マル4)計畫に基く戰艦信濃及紀伊は夫々横須賀及呉海軍工廠に於て起工(紀伊は予定より六ヶ月繰上げ)し二重底迄の船殻工事を終つた時期に主として甲鈑の製造遅延の為一時建造工事を中止するに至つたが後日開戰後の軍備戰備計畫の大改變に基き信濃は航空母艦として再現せしめ得たが紀伊は遂に解体することとなつたものである。』〕。艦名は紀伊を予定していたとされる〔。 == 建造開始 == 1936年(昭和11年)のワシントン海軍軍縮条約の失効を見越して新戦艦建造の研究をすすめていた日本海軍は、欧米列強の新世代戦艦に対抗すべく、4隻の新戦艦を建造する“A-140計画”をまとめた。第三次海軍軍備充実計画により、1937年(昭和12年)11月4日に呉海軍工廠で一号艦(後の大和)が起工〔#庭田、建艦秘話53頁『(ロ)工事概括予定と実際』〕。1938年(昭和13年)3月29日に三菱重工業長崎造船所で二号艦(後の武蔵)が起工。1940年(昭和15年)8月8日、「大和」は進水〔#庭田、建艦秘話50頁〕。続いて第四次海軍軍備充実計画により〔#海軍軍備(2)pp.22-24『第三節 昭和十四年度海軍軍備充實計畫(通稱、第四次補充計畫)』〕、1940年(昭和15年)5月4日(もしくは4月7日)に横須賀海軍工廠で110号艦(後の信濃)が起工〔#海軍軍備(2)p.28『(丸4)計画艦艇工事経過』〕〔#海軍軍備(4)p.13『一一〇號艦は予定通り昭和十五年四月七日、一一一號艦は予定を半年繰上げ同年十一月七日起工され、大和型の第三、第四番大戰艦の工事がスタートした』〕。本艦は大和進水から約3ヶ月後の1940年(昭和15年)11月7日、呉海軍工廠で本艦(111号艦)が起工した〔#海軍軍備(2)p.28『(丸4)計画艦艇工事経過』-『戰艦|111号』〕〔。 基本性能・要目は先行2隻(大和、武蔵)と変わらないが、110号艦(信濃)および111号艦(本艦)では、様々な問題点の改良が図られている。 *副砲防御の強化 *旗艦運用に適した設備 *舷側装甲、水平装甲厚は過大であるとして、10mmずつ削減され400mmと190mmに削減〔。バーベット部分の装甲厚も560mmから540mmに削減 *艦底の二重底部分を三重底とし、50mmDS鋼板を貼り足す〔。機関部など重要箇所には12mmDS鋼板による三重底部分を新設(大和、武蔵が艦底下2.5mでTNT炸薬200kgの炸裂に耐えられるのに対し、300kgの炸裂にまで耐えることが可能) *スクリュープロペラの直径とピッチの変更 また対空火器として10cm高角砲を搭載する予定だった〔#海軍軍備(2)p.25『(艦種)戰艦|單艦屯數(基準排水量)六四,〇〇〇|(隻數)二|(合計屯數)一二八,〇〇〇|(速力)二七.〇|(航續力)一六-七,二〇〇|(主要兵装)四十六糎砲 九/十五.五糎砲 一二/十糎高角砲 一二/飛行機 六|(備考)一隻は建造中止解体 一隻は空母に改造となる』〕。だが砲の製造能力と予算上の制約のために見合わされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「111号艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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