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大谷籌子 : ミニ英和和英辞書
大谷籌子[おおたに かずこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

大谷籌子 : ウィキペディア日本語版
大谷籌子[おおたに かずこ]

大谷 籌子(おおたに かずこ、1882年11月5日 - 1911年1月27日)は西本願寺法主大谷光瑞の妻(西本願寺裏方)であり、女性組織仏教婦人会などで活躍、女子高等教育の必要性をとき九条武子とともに京都女子大学設立の推進者となった人である。
== 来歴 ==

1882年(明治15年)九条道孝の三女として生まれる。妹は、大正天皇の后である貞明皇后(九条節子)である。11歳のとき大谷光瑞(当時17歳)と婚約し、西本願寺に住むこととなる。光端の妹、大谷武子(のち九条武子)とは、そのころより大変仲がよかったといわれている。6年後、17歳で結婚し、西本願寺裏方、および仏教婦人会総裁となる。
1900年、甲斐駒蔵・和里子夫妻が開いた私塾「文中園」(同年「文中女学校に改称)を西本願寺が支援することとなる。1910年、甲斐夫妻が西本願寺・仏教婦人会連合本部より経済援助を受け、矢部善蔵が創立した「京都高等女学校」を買収し、文中女学校を合併すると、仏教婦人会連合本部は、京都高等女学校の経営を甲斐夫妻より委託され、京都高等女学校の経営主体となった。籌子は京都高等女学校の名誉校長となり、経営に尽力した。しかし翌1911年、30歳の若さで急逝した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大谷籌子」の詳細全文を読む




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