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大部 由美(おおべ ゆみ、1975年2月15日 - )は、日本の元女子サッカー選手で現在はサッカー指導者。鳥取県境港市出身。八千代松陰高等学校卒業。身長167cm。現役時代のポジションはディフェンダー。 ==来歴== 小学生のころ、姉の影響で〔アトランタ大会出場日本選手・サッカー(女子)大部由美 JOC公式サイト 2010.6.5 06:56 (UTC) 閲覧〕渡スポーツ少年団で競技を始め、境第三中学校時代にはクラブチームの米子コスモスでプレー。中学卒業後、日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)に参入した日興證券ドリームレディースへ入団し、ヤングプレーヤー賞(新人賞)を獲得した。日興證券廃部に伴い埼玉県にうつり、沖電気女子サッカー部であるOKI FC Windsに入団したが1999年度シーズン終了後に廃部となり退団。翌2000年、宮城県三本木町(現大崎市)所在のYKK AP東北フラッパーズ (YKK東北女子サッカー部) に移籍した。 女子代表では3バックのディフェンスラインにおけるセンターバックをつとめ、また主将としてチームをまとめた。2004年アテネオリンピックのアジア地区予選から、代表チームはディフェンダーを4人(4バック)に変更したため試合に出る機会を失っていった。 2005年、YKK東北フラッパーズが東京電力に移管され、所属チーム名が東京電力女子サッカー部マリーゼに変更されたのにともない、YKK東北を退職して東京電力に入社した。翌2006年にチームはディビジョン1最下位となり、同年11月17日に木村孝洋が監督を辞任したため、12月に行われた第28回全日本女子サッカー選手権大会で選手兼任監督となった。大会終了後、同サッカー部退団および現役引退が発表された。 引退後、郷里である境港市に戻り、渡児童クラブで指導員ととなった。また、2007年4月から2008年3月まではJFAアンバサダーとして普及活動に当たり、2008年7月には15歳以下の女子選手を集めた「なでしこチャレンジプロジェクト」のコーチとして、日本代表でのチームメートだった高倉麻子監督と共に参加した。また、JFA女子担当ナショナルトレセンコーチに就任し、主として中国地方の選手の指導を担当することとなった〔ナショナルトレセンコーチ リレーインタビュー 中国~ JFA公式サイト 2009.7.2付記事〕。2012年より、ガイナーレ鳥取U-15のコーチを務める〔【特別インタビュー】大部由美U-15コーチ 「これまでの経験を生かして、地元に良い影響を与えたい」 ぐるっと中国DX 2013.7.14付記事〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大部由美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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