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『天使の玉ちゃん』(てんしのたまちゃん)は、藤子不二雄による日本の漫画作品、および作中に登場する架空の人物の名称。藤本弘と安孫子素雄のコンビとしての正式なデビュー作として知られる。1951年12月16日から1952年4月4日まで毎日小学生新聞(以下、毎小)・大阪版で連載された(後の藤子不二雄コンビとして初の打ち切り作品でもある)。 == 概要 == 1946年に手塚治虫が『マァチャンの日記帳』でデビューを飾った頃、富山県でこの作品に偶然触れた2人の少年がいた。この2人こそ、後に数々の名作を手がけることになる少年時代の藤本弘と安孫子素雄で、それまでの荒々しい内容とも異なり、古臭い画風でもないその「新しい」作品に大いに影響を受ける。この頃の安孫子のノートには『マァチャン』の模写でいっぱいになり、2人の画風がそれまでのチャンバラなどの時代劇挿絵風から曲線的な手塚調の画風へと一気に変化する転機となる。その後、同年7月『マァチャン』と同じ毎小に開始された手塚のストーリー漫画のハシリとも言われる『AチャンB子チャン探検記』(手塚自身は後に失敗作としている)が開始され、これを読むためだけに中学生になっても小学生新聞の毎小を取り続けるなど手塚熱はますます高くなっていき、翌年刊行された手塚の『新宝島』でそれはピークに達し、2人は漫画家としてプロを目指すことを志すようになる。 その後、2人はいくつかの作品を合作するようになるが、高校生になったある日、トーンを使わない墨とペンでの作画で『天使の玉ちゃん』という4コマ漫画を10枚描いており、それを憧れの毎日小学生新聞に「ぼくたちは富山の高校生です。手塚作品が大好きで『マァチャン』の頃からの愛読者です。手塚作品が今載っていないので、代わりに自分達の作品を連載してください。」という内容の手紙と共に投稿した。 2ヶ月たっても何の音沙汰も無く、内心諦めかけていたところ突然毎日新聞社(毎小の発行元)名義で「二千四百円也」と書かれた郵便為替が届く。本人達が慌てて新聞を買いに走り確認したところ、既に天使の玉ちゃんが『7回目』となっていた。 手塚の『マァチャン』が連載前に三段ぶち抜きの広告で紹介され、新聞社役員との話し合いの上で綿密に決められたのとは対照的に本人達には何の連絡通知もないまま知らぬ間に決まっていたデビューであったが、これこそが後年まで活躍することになる『藤子不二雄』が誕生し公の印刷物に初めて登場した瞬間であった。 なお、安孫子は連載ならばと追加の10枚を送っているが、どういうわけか『玉ちゃん』は26回目で打ち切りとなり以後続きが掲載されることは無かった。このことは本人を含め「なぜ連載され、なぜ打ち切られたのかが未だに謎である」と語っている。 本作は後にⒶ">藤子不二雄Ⓐの代表作『まんが道』で当時の画風でリメイク版が掲載されているが、オリジナルについては本人も第一回の掲載紙を購入しておらず、私設ファンクラブ「ネオユートピア」の会報誌23号でオリジナルバージョンが全話掲載された以外には一度も復刻されておらず、読むことが困難になっていた。これに限らず、藤子不二雄のブレイク前作品は殆ど復刊されていないため、デビュー作の本作すら「謎の作品」とさえ言われていた。その後、藤子Fの全集である『藤子・F・不二雄大全集』の第3期において、2012年9月配本のラインナップとして『天使の玉ちゃん』が『UTOPIA 最後の世界大戦』と併録される形で刊行された〔藤子・F・不二雄大全集 第3期 速報 小学館 〕〔『毎日小学生新聞』2012年12月22日号 藤子不二雄:デビュー作出版 50年代毎小に連載「天使の玉ちゃん」 〕。 なお、オリジナルでの名義は藤子不二雄ではなく、ひらがなの「あびこもとお ふじもとひろし」という本名表記だった。おなじみの藤本と安孫子から苗字を取り、同じく藤本のフジと素雄の雄から名前が作られた藤子不二雄のペンネームに至るまでは藤子不二雄の項目を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天使の玉ちゃん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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