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天文台構内古墳とは、東京都三鷹市の国立天文台三鷹キャンパスの敷地内にある上円下方墳である。 ==古墳発見と発掘の経緯== 天文台構内古墳は、江戸時代後期の地誌、新編武蔵風土記稿と武蔵名勝図会の、多摩郡世田谷領大沢村の項に富士塚として記載されており、当時は富士塚として利用されていたことが明らかになっている。また、当時は女人禁制で婦女子が登ることが禁じられており、その昔、甲府殿の鷹場の御立場として利用されたとの言い伝えがあるとの記述もある。 このように天文台構内古墳は長い間古墳とは見なされていなかったが、1970年(昭和45年)、三鷹市の市史編纂委員会の手によって発掘が行われ、横穴式石室の存在が明らかになり古墳であることが判明した。ただし学界に発掘調査の成果が公表されず、古墳の存在も広く知られることがなかった。 1992年(平成4年)から1994年(平成6年)にかけて、東京都教育委員会が多摩地区の古墳について確認調査を実施し、その報告書の中で初めて天文台構内古墳の名が学会に知られるようになった。 2003年(平成15年)から開始された武蔵府中熊野神社古墳の発掘の結果、よく似た横穴式石室を持っている天文台構内古墳の注目度が高まったこともあって、天文台構内古墳は2004年(平成16年)度以降、継続して発掘調査・研究が行われている。まず2004年12月、天文台構内古墳の墳丘測量調査が実施された。その後2006年(平成18年)2月には横穴式石室の全容調査を目的とした発掘調査が行われ、複室・胴張り形の石室であることが確認された。2006年11月の発掘調査では墳丘の状態と周濠について確認がなされた。更に2007年(平成19年)10月から11月にかけて墳丘や墳丘周囲の発掘調査が行われ、その結果2007年12月、天文台構内古墳は全国4例目の上円下方墳であることが判明した。ただし下方部に墳丘・葺石をほどこした武蔵府中熊野神社古墳と異なり、天文台構内古墳は円墳の周囲に方形の周濠がめぐっている形をしており、上円下方墳の類型の墳型として「方基円墳」という名称も提唱されている〔池上(2008)pp84-86.〕。 2008年(平成20年)8月、玄室内から7世紀第三四半期のものと見られる須恵器の壺と、土師器の坏が発見された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天文台構内古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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