翻訳と辞書
Words near each other
・ 太田賢司
・ 太田賢吾
・ 太田質平
・ 太田軽便鉄道
・ 太田輝資
・ 太田辰夫
・ 太田述正
・ 太田進
・ 太田進一
・ 太田運動公園野球場
太田道灌
・ 太田道灌状
・ 太田道真
・ 太田道誉
・ 太田達也
・ 太田達也 (ロードレースライダー)
・ 太田達也 (写真家)
・ 太田達也 (法学者)
・ 太田達人
・ 太田郡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

太田道灌 : ミニ英和和英辞書
太田道灌[おおた どうかん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

太田道灌 : ウィキペディア日本語版
太田道灌[おおた どうかん]

太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将武蔵守護代扇谷上杉家家宰摂津源氏の流れを汲む太田氏資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。
以降、本項では便宜上「道灌」の呼称を使用する。
== 生涯 ==

=== 幼少期 ===

永享4年(1432年)、鎌倉公方を補佐する関東管領上杉氏の一族である扇谷上杉家の家宰を務めた太田資清の子として生まれた。幼名は鶴千代。『永享記』などによると鶴千代は鎌倉五山(一説によれば建長寺)で学問を修め、足利学校栃木県足利市)でも学んだ。
文安3年(1446年)に元服し、資長を名乗った(初名は持資とする説もある)。享徳2年(1453年)1月、従五位上に昇叙し(従五位下叙位の時期は不明)左衛門少尉は如元(左衛門大夫を称する)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太田道灌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.