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姶羅郡[あいらのこおり]
姶羅郡(あいらのこおり、あいらぐん)は、古代律令制下の大隅国に存在した郡。近現代の姶良郡とは別の郡である。 和銅6年(713年)に日向国から大隅国が分立した際に存在した4郡のひとつ(他には肝属郡、曽於郡、大隅郡)であったが、鎌倉時代以降は姿を消した。正確な郡域は不明であるが、『和名類聚抄』に記された郷名から、おおよそ現在の鹿児島県鹿屋市周辺(大隅半島中央部)に位置したと考えられている。 == 郡内の郷 == 平安時代中期の承平年間(930年代)に編纂された『和名類聚抄』には郡内の郷として鹿屋、串伎、野裏、岐刀の4郷が記されている。このうち岐刀郷は大隅郡にも記載されている。鹿屋はのちの鹿屋院、すなわち現在の鹿屋市街地周辺、串伎はのちの串良院、すなわち現在の東串良町および旧串良町にそのまま比定される。 郡名と読みを同じくする「姶﨟郷」は大隅郡の項に記載されていること、また、『大隅国風土記』逸文では串ト郷が大隅郡所属とされていることから、大隅国成立から平安時代までの間に両郡の領域に変動があったと考えられている。
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