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紀太后(きたいごう、? - 1475年)は、明の成化帝の妃嬪で弘治帝の母。ヤオ族の出身で、明で姓を紀氏とされた。元の名は李唐 妹(りとう まい)と伝わる。 == 経歴 == 広西賀州のヤオ族の「李公」と「唐母」(チワン語を音訳した漢字表記)の娘として生まれた。明軍南征の際、家を滅ぼされ捕虜となって北京に送られ、後宮に入り女史(女官)となった。 成化6年(1470年)、成化帝の目にとまり、迫られ関係して妊娠した。万貴妃による懲罰を恐れ、堕胎薬を飲まされたものの堕胎に失敗し、安楽堂(宮女と宦官の葬儀場)の用人となった後に朱祐樘(のちの弘治帝)を産んだ。紀氏は自ら祐樘を殺そうともしたが、太監(宦官)の張敏に止められた。以後、祐樘は呉廃后が密かに育てた。 成化11年(1475年)、成化帝と万貴妃は祐樘の存在が明らかになるとこれを認めたが、紀氏はまもなく急死した。紀氏は淑妃を追贈され、恭恪荘僖と諡された。弘治帝が即位すると皇后を追贈され、孝穆慈慧恭恪荘僖崇天承聖純皇后と追諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀太后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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