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宇佐美 勝夫(うさみ かつお、1869年6月21日(明治2年5月12日) - 1942年)は、日本の内務官僚、政治家。幼名は慎平。富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任した。 山形県士族宇佐美駿太郎の弟〔猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ウ三頁より〕。 == 経歴 == 旧米沢藩士・戸長、宇佐美勝作の二男として生まれる。米沢中学、第一高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入り内務属として県治局に配属された。同年10月、文官高等試験に合格。 1897年4月、徳島県参事官に就任。以後、京都府参事官、内務書記官・宗教局、宗教局第一課長兼第二課長、大臣官房文書課長、兼内務省参事官などを歴任。 1908年3月に富山県知事に就任。その後、統監府参与官、韓国政府内務次官、朝鮮総督府内務部長官、兼同府土木局長などを経て、1921年5月に東京府知事に就任。1925年9月、東京府知事を退任し賞勲局総裁に就任。資源局長官を経て、1933年2月、満州国国務顧問に就任した。 1934年7月、貴族院勅選議員に任じられ、同和会に属し死去するまで在任。その他、維新史料編纂会委員、国家総動員審議会委員などを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇佐美勝夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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