|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 土 : [つち] 【名詞】 1. earth 2. soil ・ 為 : [ため] 【名詞】 1. good 2. advantage 3. benefit 4. welfare 5. sake 6. to 7. in order to 8. because of 9. as a result of ・ 光 : [ひかり] 【名詞】 1. light
宇土 為光(うと ためみつ、生年不詳 - 文亀3年(1503年))は戦国時代の武将。菊池氏の家臣。養父は宇土忠豊、実父は菊池氏第19代当主の菊池持朝。兄に菊池為邦他。 == 生涯 == 菊池持朝の子として生まれ、後に宇土城主宇土忠豊の養子となる。しかし菊池氏宗家の家督の簒奪を狙い、まず文明16年(1484年)に、同じ肥後の国人である相良為続と結んで甥の菊池重朝と戦って敗北、宇土城から逃亡している。しかし翌文明17年(1485年)に阿蘇氏の内紛に介入し、馬門原の戦いで勝利を収め、宇土城を奪回している。そして明応8年(1499年)に八代の豊福城に拠って再度挙兵するが、菊池能運と有馬氏の軍勢により敗北する。 文亀元年(1501年)、またもや謀叛を起こして隈府城を攻略。そして玉祥寺原の戦いで能運勢と雌雄を決し、菊池氏の重臣である菊池重安や東重棟、溝口資清を敗死させ、肥後守護職を簒奪。ここに為光の野望は叶ったのである。 ところがその栄光も長くは続かず、守護職奪回と為光打倒の執念を燃やす菊池能運は、文亀3年(1503年)に有馬氏の援兵や相良氏の協力を得て肥後へ戻り、その報に接した宇土為光は、高瀬にて迎撃するも敗北して筑後国へと逃亡した。しかし立花山城守が為光らを拘束。隈府へ送還された宇土為光、その息子の宇土重光、孫の宇土宮満丸は斬首され、菊地系宇土氏は滅びた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇土為光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|