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宗像 氏隆(むなかた うじたか、天文18年(1549年) - 寛永19年11月29日(1643年1月19日)〔伊東尾四郎編『宗像郡誌 中編』(1931年)〕)は、 戦国時代の人物。 大内義隆に招かれ、黒川姓を名乗り、陶晴賢の謀反で死亡した宗像大社の第79代宮司・宗像氏男の子。幼名・国丸。父が大内義隆と共に死亡した後、陶晴賢に殺されそうになるが、宗像の旧臣らによって救出され、長門国へ落ち延びた。以後、帰農して寛永19年(1642年)11月29日に90歳を越える天寿を全うして死去したという。 宗像氏貞は嫡子が夭折し、自身も子を残さないまま病死した為に、直系の宗像氏の血筋は絶えたかと思われているが、氏貞の従兄弟に当たる氏隆の家系が現在にも残っている。氏隆の子としては氏一、氏道がいる〔。 == 脚注 == 〔 うしたか 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗像氏隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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