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宗像郡(むなかたぐん)は、福岡県(筑前国)にあった郡。 == 古代 == 宗像は古くは宗形、胸形とも書き、宗像神社(宗像大社)の所在地として重んじられていた。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、文武天皇2年(698年)3月9日には近親者の連任を許す詔が下されている〔『続日本紀』文武天皇二年三月己巳条。なお、宗像郡と同時に出雲国の意宇郡も連任を許された。〕〔続いて上総国安房郡が、文武天皇4年(700年)(『続日本紀』文武天皇四年二月乙酉条)に連任を許され、さらに養老7年(723年)までに八神郡全て連任を許された。〕。一般に郡(評)〔藤原京出土木簡に「己亥年十月上捄国阿波評松里□」(己亥年は西暦699年)とあり、7世紀末には「郡」ではなく「評」と呼ばれていたことが判明し、大宝元年(701年)以降に郡と称するようになったと考えられている(「藤原京出土の木簡が、郡評論争を決着させる」木下正史 著 『藤原京』 中央公論新社、2003年、ISBN 4-12-101681-5、64頁)。〕を治める郡司(評司)に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、宗像郡では神社を代々まつってきた宗形氏が重視されたものである。8世紀には宗像神社の神官が郡の大領を兼任したが、この制度は延暦19年(800年)12月4日に廃止された〔新日本古典文学大系版『続日本紀』、岩波書店、1989年、補注1-56、1-57、258-259頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗像郡」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Munakata District, Fukuoka 」があります。 スポンサード リンク
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