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宗康親王(むねやすしんのう、天長5年(828年) - 貞観10年6月11日(868年7月4日))は、平安時代前期の皇族。仁明天皇の第二皇子。母は贈皇太后・藤原沢子(藤原総継の娘)。光孝天皇の同母兄。官位は四品・中務卿。 == 経歴 == 承和元年(834年)初めて父・仁明天皇に拝謁する〔『続日本後紀』承和元年8月7日条〕。承和3年(836年)には、大和国山邊郡荒廃田十町、播磨国神埼郡荒廃田三十三町、美濃国席田郡空閑地七十町を賜与される〔『続日本後紀』承和3年3月17日条,5月18日条,6月25日条〕。承和10年(843年)元服〔『続日本後紀』承和10年8月19日条〕。 承和11年(844年)正月に無品から四品に叙せられ〔『続日本後紀』承和11年正月7日条〕、翌承和12年(845年)大宰帥に任ぜられる〔『続日本後紀』承和12年正月11日条〕。嘉祥2年(849年)には中務卿を兼ねるが〔『続日本後紀』嘉祥2年正月13日条〕、翌嘉祥3年(850年)父・仁明天皇の出家に伴い、弟の源多とともに出家(最終官位は四品中務卿)〔『続日本後紀』嘉祥3年3月19日条〕。貞観10年(868年)6月11日薨去。享年41。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗康親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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